朝日日本歴史人物事典 「高向国押」の解説
高向国押
7世紀後半の官人。麻呂の父。国忍とも書く。蘇我氏の配下にあったが,皇極2(643)年山背大兄王が胆駒山(生駒市と東大阪市境界にある生駒山)に逃げ込んだとき,蘇我入鹿の王追捕の命に従わず,皇極天皇の宮を守った。4年乙巳クーデタ(大化の改新)では,漢直 らと共に中大兄皇子(のちの天智天皇)と対立したが,説得に応じて軍陣を解くなど,十分事の理非をわきまえた人物であった。子の麻呂の薨伝(『続日本紀』)によると,孝徳朝(645~654)では刑部尚書で,冠位は大花上(大宝令制の正四位に相当)。
(橋本義則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報