デジタル大辞泉 「飛鳥」の意味・読み・例文・類語
あすか【ASCA】[Advanced Satellite for Cosmology and Astrophysics]
あすか【飛鳥/明日香】
[補説]「飛鳥」の表記は、「あすか」にかかる枕詞「とぶとりの」の「とぶとり」を当てたもの。書名別項。→明日香
飛鳥は
アスカについては「古事記」「日本書紀」に飛鳥・阿須箇(斉明紀)、「万葉集」に明日香・飛鳥・阿須可・安須可などの用字がみられる。金石文では天智天皇七年の船首王後墓誌に「阿須迦宮」、持統天皇三年の采女氏塋域碑に「飛鳥浄御原大朝廷」とある。飛鳥の表記はアスカにかかる枕詞「飛ぶ鳥の」によるという説がある(古事記伝)。
語源については賀茂真淵・伴信友らはイスカ()の鳥名に結び付け、その群棲地と考証した。ほかにア(接頭語)スカ(洲処)説、アス(崩地)カ(処)説などがある。飛鳥地方には大字
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良盆地南東部の歴史的地名。明日香とも書く。飛鳥の用字は枕詞〈飛ぶ鳥の〉をあてたもの。一般には高市郡明日香村の東部と橿原市の一部のかなり広い地域を呼んでいるが,本来は天香久山の南,橘寺・岡寺に至る間の低い丘陵に囲まれた小範囲をさし,中央を飛鳥川が流れる。語源については,アは接頭語,スカは住処で,集落の意とする説など諸説あるが,定かでない。この地域には,早く允恭天皇の遠飛鳥宮,顕宗天皇の近飛鳥宮が営まれたとも伝えるが,7世紀のはじめ,推古天皇が豊浦宮で即位し,さらに近くに小墾田宮(おはりだのみや)を造営して以後,舒明天皇の飛鳥岡本宮,皇極天皇の飛鳥板蓋(いたぶき)宮,斉明天皇の飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮,天武天皇の飛鳥浄御原(きよみはら)宮など〈飛鳥〉を冠する宮室がつぎつぎと営まれ,孝徳朝の難波遷都と天智朝の近江遷都の短期間を除き,694年(持統8)の藤原京遷都までここが日本の古代政治の中枢となり,律令制国家もここを基点に誕生した。その間天武朝初年には,飛鳥を中心に一定の行政区画としての倭京(わきよう)がすでに設定されたらしいが,その規模・構造はなお明らかでない。ただ奈良盆地を等間隔でまっすぐ南北に走る古道,上ッ道・中ッ道・下ッ道が飛鳥を中心に設定され,その中ッ道が東西直線道の山田道と飛鳥寺の北西地点で交差するので,その付近が飛鳥の中心であったと考えられる。また飛鳥の地には蘇我氏が建てた飛鳥寺をはじめ,坂田寺,豊浦寺,山田寺,橘寺,川原寺,大官大寺など多くの寺院が建立され,いわゆる飛鳥・白鳳の仏教文化が大いに栄えたが,天武朝には倭京京内の諸寺は24の多きに及んだという。さらに飛鳥の西,檜隈(ひのくま)の地には5世紀に朝鮮半島から渡来した倭(東)漢氏(やまとのあやうじ)が定住し,蘇我氏との関係を深めながら,その勢力をしだいに飛鳥に及ぼしてきたので,仏教以外にも渡来文化の影響の濃い遺跡や遺物が多く,飛鳥寺の北から出土した須弥山石・道祖神像や,酒舟石・猿石・亀石など〈飛鳥の石造物〉が有名である。この地域の遺跡については,1956年以来,奈良国立文化財研究所と奈良県立橿原考古学研究所によって発掘調査が継続されており,多くの成果があがっているが,さらに80年5月にはその歴史的風土を保存するため,〈明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法〉が制定・公布された。
なお大和の飛鳥とは別に,河内南部,二上山の西麓にも飛鳥の地名があり,大和の〈遠つ飛鳥〉に対して〈近つ飛鳥〉と呼んだともいうが,一般にこの方は飛鳥戸(あすかべ)と呼び,〈安宿〉と書いて,大和の飛鳥と区別している。
執筆者:岸 俊男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明日香、安須加、安宿などとも書かれた。もっともよく知られるのは、奈良盆地の南東部、現在の奈良県高市(たかいち)郡明日香村。「あすか」の地は、ほかに奈良県で10か所、大阪府、京都府で各3か所、岐阜県で2か所、長崎県、広島県、和歌山県、三重県、静岡県、東京都、山形県、青森県などにもある。「あすか」の音のおこりは、安宿の朝鮮音アンスクから転訛(てんか)したとの説もあるが、スカ(スガ)=浄地にアの接頭語がついたものとみられる。
大和(やまと)の飛鳥は、古代には飛鳥川の東岸をいい、すでに弥生(やよい)文化の遺物も認められるが、灰褐色、黄褐色土壌群に開発が進んだのは5世紀後半以来であった。これには北方系の乾田農法の技術が用いられたとみられ、この開発をさらに推し進めたのは蘇我(そが)氏を中心とする人々であった。以後、飛鳥川の流域一帯が、古代統一国家形成の主舞台となった。飛鳥に大和国家の王宮が置かれたのは、伝承的な遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)(允恭(いんぎょう)天皇)を最初とし、近飛鳥八釣(ちかつあすかのやつり)宮(顕宗(けんそう)天皇)、飛鳥岡本宮(舒明(じょめい)天皇)、飛鳥板蓋(いたぶき)宮(皇極(こうぎょく)天皇)、後飛鳥岡本宮(斉明(さいめい)天皇)、飛鳥川原宮(同)、飛鳥浄御原(きよみはら)宮(天武(てんむ)天皇)である。これに飛鳥川西岸の豊浦(とゆら)宮(推古(すいこ)天皇)、小墾田(おはりだ)宮(同)、田中宮(舒明天皇)などを加えていう場合もある。周辺には渡来人も多く住み、この地で創出された6世紀末から7世紀中葉過ぎまでの文化を飛鳥文化という。
[門脇禎二]
『佐藤小吉著『飛鳥誌』(1944・天理時報社)』▽『門脇禎二著『飛鳥』(NHKブックス)』
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明日香とも。奈良盆地南部の地名。大和川支流の飛鳥川上流域。広義には大和三山に囲まれた地域を含む。語源については鳥のイスカの群棲地説,洲処(すか)説,朝鮮系渡来人の安住地(安宿)説などがある。「飛ぶ鳥の」の枕詞から飛鳥の表記が用いられた。豊浦・川原など川にちなむ地名が多い。渡来人が多く居住し,6世紀末~7世紀末に小墾田宮(おはりだのみや)・岡本宮・浄御原宮(きよみはらのみや)などの宮室や寺が集中し,政治や文化の中心地になった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…藤原京以前に飛鳥を中心に存在したと想定される京の仮称。6世紀末に推古天皇が豊浦(とゆら)宮で即位し,ついで小墾田(おはりだ)宮に移って以後,天武天皇の飛鳥浄御原宮に至るまでの間,飛鳥を中心につぎつぎと宮室が営まれた。…
※「飛鳥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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