高墓庄
たかつかのしよう
佐波川の河口付近、大字伊佐江の大塚辺りを領域とした周防国一宮玉祖神社領の荘園。
保延三年(一一三七)九月日の待賢門院庁下文案(東大寺図書館所蔵文書)によれば、安芸権介藤原実明が玉祖社とその社領三ヵ荘を一括して、法金剛院(現京都市右京区)に寄進している。そのうちに、「一処字高墓庄」としてその四至を「東限今打并平井境、南限大河、西限限大椙、北限湯田下大路」とある。玉祖社を介して法金剛院領となったが、法金剛院側は三ヵ荘を含めた所領として「玉祖社」と扱ったらしい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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