高安庄
たかやすのしよう
高安山麓部、東は山、西は恩智川筋までの間に位置する。旧高安郡のどの辺りにあったかは未詳。安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(内閣文庫蔵山科家古文書)に「庁分御庄」として「河内国川田 高安」とみえる。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院御領目録(竹内文平氏旧蔵文書)にも「庁分」の一として当庄があげられるが、「御管領、但亀山院御時御寄進磯長御廟」と注される。磯長御廟とは聖徳太子墓を守護する叡福寺(現南河内郡太子町)のこと。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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