聖徳太子墓(読み)しようとくたいしのはか

日本歴史地名大系 「聖徳太子墓」の解説

聖徳太子墓
しようとくたいしのはか

[現在地名]太子町太子

叡福寺北えいふくじきた古墳、上城古墳ともよばれる。叡福寺の伽藍北側にある南北に延びる丘陵端に位置する円墳墳丘は丘陵端部を切断した形の自然地形を利用するもので、東西径五二メートル・南北径四二メートル・高さ一〇メートルの楕円形をなす。現在は墳丘裾は結界石と称する二重の石柵列によって保護されている。内側の石柵列は空海作と伝え、高さ八〇センチ・幅三〇センチ・厚さ二〇センチの凝灰岩製。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報