日本歴史地名大系 「高安郡」の解説
高安郡
たかやすぐん
〔古代〕
「和名抄」では
当郡の成立については、「三代実録」元慶三年(八七九)一〇月二二日条に次の記事がある。河内国高安郡の人、従八位上常澄宿禰秋雄らが請いにより高安宿禰の姓を賜ったが、秋雄らがいうのに「先祖は後漢光武皇帝・孝章皇帝の後なり。裔孫高安公陽倍、天万豊日天皇(孝徳)の御世に高安郡を立つ」と。すなわち秋雄の祖の高安公陽倍が孝徳天皇のときに高安郡を立てたというのである。秋雄はなおこれに続けて、高安公陽倍は陽倍に音の似ている八戸史の姓を賜り、承和三年(八三六)に至って常澄宿禰を賜ったが本姓の高安にもどしてほしいと上申して、高安宿禰の賜姓にあずかったのである。上言の内容のすべてを信ずることはできないが、このときの賜姓者のなかには高安郡少領の常澄宿禰宗雄もおり、この氏族が高安郡の伝統的豪族であることは事実であろう。また八戸史が承和三年に常澄宿禰の姓を賜ったことは「続日本後紀」同年三月三日条にみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報