高橋忠次郎(読み)たかはし・ちゅうじろう

朝日日本歴史人物事典 「高橋忠次郎」の解説

高橋忠次郎

没年:大正2.10.16(1913)
生年:明治3.3.13(1870.4.13)
明治時代の体育教師,遊戯研究家。宮城県宮城郡松島村生まれ。明治23(1890)年東京体操伝習所卒業。日本体育会体操練習所(日本体育大),女子高等師範学校(お茶の水女子大)で体操を教えたのち,35年,わが国初の女性体育教師養成機関である東京女子体操学校(東京女子体育大)を設立した。この間,26年に「日本遊戯調査会」を設立,34年には『遊戯雑誌』を創刊した。39年渡米,病を得て客死した。<著作>『音楽応用女子体操遊戯法』<参考文献>掛水通子「高橋忠次郎」(『近代日本女性体育史』)

(大熊廣明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋忠次郎」の解説

高橋忠次郎 たかはし-ちゅうじろう

1870-1913 明治時代の体育教師,遊戯研究家。
明治3年3月13日生まれ。23年日本体操練習所(現日本体育大)を卒業し,同練習所や女子高等師範(現お茶の水女子大)で体操をおしえる。35年日本最初の女子体育教師養成機関である東京女子体操学校(現東京女子体育大)を設立。26年日本遊戯調査会をつくり,「遊戯雑誌」を創刊した。大正2年10月16日死去。44歳。陸前宮城郡出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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