日本歴史地名大系 「鳥ヶ地新田村」の解説 鳥ヶ地新田村とりがんじしんでんむら 愛知県:海部郡十四山村鳥ヶ地新田村[現在地名]十四山村鳥ヶ地新田東は宝(たから)川を挟んで西蜆(にししじみ)新田村、西は筏(いかだ)川を境に鎌島(かまじま)新田村(現弥富町)に接する慶安元年(一六四八)開墾の村。「徇行記」によれば、村高四七六石余はすべて藩重臣志水甲斐守の給知。田は四五町五反九畝余、畑は六町六反余。「寛文覚書」に戸数二三、人数一一五とある。「徇行記」に「高ニ準シテハ戸口多ク、其内高持ハ僅ニ八戸ホトアリ、其余ハ皆小百姓ナリ、高持ノ内才兵衛・甚助・新蔵・三右衛門大戸ナリ、村キリニテハ耕田足ラサルカ故ニ、無高ノ細民ハ多ク鳥ケ地前新田・大宝前新田ヘ出作スルト也」とあり、享保四年(一七一九)の大地震の被害で堀田になったことを伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by