川辺(読み)カワベ

デジタル大辞泉 「川辺」の意味・読み・例文・類語

かわ‐べ〔かは‐〕【川辺】

《古くは「かわへ」とも》川のほとり。川べり。川ばた。
[類語]水際水辺水上葦辺水面すいめん水面みなも水中

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精選版 日本国語大辞典 「川辺」の意味・読み・例文・類語

かわ‐べかは‥【川辺・河辺】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 古くは「かわへ」か ) 川の流れにそったあたり。川のほとり。川ばた。川べり。かわび。
    1. [初出の実例]「射ゆ獣(しし)を認(つな)ぐ舸播杯(カハヘ)の若草の若くありきと吾(あ)が思(も)はなくに」(出典:日本書紀(720)斉明四年五月・歌謡)
    2. 「あしたづのたてるかはへを吹く風によせてかへらぬ浪かとぞみる〈紀貫之〉」(出典:古今和歌集(905‐914)雑上・九一九)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] ( 川辺 ) 兵庫県の南東部の郡。猪名川の流域にあり、大阪府と接する。
    2. [ 二 ] ( 河辺 ) 秋田県の中央部の旧郡名。雄物(おもの)川の下流域を占めたが、現在は秋田市域に含まれる。

川辺の補助注記

[ 二 ]について、[ 一 ][ 二 ]とも古くは「かわのべ」で、「二十巻本和名抄‐五」には「摂津国 〈略〉河辺〈加波乃倍〉」「出羽国 〈略〉河辺〈加波乃倍〉」とある。


かわなべかはなべ【川辺】

  1. 鹿児島県薩摩半島の南西部の郡。東シナ海に面する。かつては、枕崎・加世田両市域も含んでいた。

川辺の補助注記

古くは「かわのべ」ともいい、河野辺とも書いた。「二十巻本和名抄‐五」には「薩摩国 〈略〉河辺〈加波乃倍〉」とある。


かわべかはべ【川辺・河辺】

  1. 姓氏の一つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川辺」の意味・わかりやすい解説

川辺(和歌山県)
かわべ

和歌山県中部、日高郡(ひだかぐん)にあった旧町名(川辺町(ちょう))。現在は日高川町の西部を占める地域。旧川辺町は、1955年(昭和30)丹生(にう)、矢田(やた)、早蘇(はやそ)の3村が合併、町制を施行して成立。2005年(平成17)中津、美山の2村と合併して日高川町となった。JR紀勢本線(きのくに線)が通じ、湯浅御坊(ゆあさごぼう)道路の川辺インターチェンジがある。周囲は真妻(まづま)山などの山地で、地域の中央を日高川が西流する。日高川が平野へ入る河岸に中心地区の和佐、鐘巻(かねまき)がある。鐘巻には、文武(もんむ)天皇の勅願寺で、701年(大宝1)創建と伝えられ、安珍(あんちん)清姫の物語で知られる道成寺(どうじょうじ)がある。国宝の木造千手観音立像・同菩薩立像、室町時代の本堂、仁王門など国指定の重要文化財も多い。農林業を主とし、とくに夏ミカンの栽培が多い。

[小池洋一]

『『川辺町史』全4巻(1985~1991・川辺町)』



川辺(鹿児島県)
かわなべ

鹿児島県薩摩半島(さつまはんとう)南部、川辺郡にあった旧町名(川辺町(ちょう))。現在は南九州市の北西部を占める。旧川辺町は1923年(大正12)町制施行。1956年(昭和31)勝目(かつめ)村と合併。地名は万之瀬(まのせ)川辺の意による。2007年(平成19)知覧(ちらん)町と揖宿(いぶすき)郡頴娃(えい)町と合併、市制施行して南九州市となった。これにより川辺郡は消滅した。旧川辺町域は万之瀬川中流部の盆地と周囲の山地とからなる。国道225号が北東から南西に走る。中世に平氏の一族が川辺氏を名のり統治した所で、仏教文化が栄え「清水磨崖仏(きよみずまがいぶつ)」はその遺産である。こうした文化的風土に根をもつ家内工業の川辺仏壇は、全国に販路をもち、国の伝統的工芸品に指定されている。盆地中央部は南薩随一の水田地帯ともいわれ、畜産も盛んである。君野権現(きみのごんげん)洞穴、飯倉(いいくら)神社境内の大クスは県指定天然記念物。

[田島康弘]

『『川辺町郷土誌』(1976・川辺町)』


川辺(町)
かわべ

岐阜県中南部、加茂郡(かもぐん)にある町。1897年(明治30)町制施行。1955年(昭和30)上米田(かみよねだ)村と合併、1956年下麻生(しもあそう)町の大部を編入。集落や耕地は飛騨川(ひだがわ)の東西両岸の段丘上にあって、JR高山本線、国道41号、418号などの便がある。中心地区の中川辺は、江戸時代には旗本大島氏の陣屋町。誘致された繊維、金属などの製造工場がある。下麻生はかつて流送される木材をせき止めた綱場で、飛騨木材はここで筏(いかだ)に組まれ、下流へ運ばれた。米作や施設園芸が盛ん。面積41.16平方キロメートル、人口9860(2020)。

[上島正徳]

『『川辺町史』全3巻(1984~1996・川辺町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川辺」の意味・わかりやすい解説

川辺
かわなべ

鹿児島県南西部,南九州市北西部の旧町域。薩摩半島南部の火山灰台地にある。 1923年町制。 1956年勝目村と合体。 2007年頴娃町,知覧町の2町と合体して南九州市となった。古代中期から平家の一族川辺氏が支配。仏教文化が花開き,清水磨崖仏 (きよみずまがいぶつ) や宝光院跡が残る。のち島津氏の統治下に入り,地頭が置かれた。台地内の低地では米作,台地ではサツマイモ,チャ (茶) などを栽培。丘陵ではスギ,マツ,ヒノキを植林。デンプン,製茶,製材などの工業が行なわれる。特に仏壇の製造が多い。肉牛,ブタ,ニワトリの飼育も盛ん。知覧街道沿いにある小野滝の付近には多数の甌穴 (おうけつ) があり蟹ヶ地獄 (かにがじごく) といわれる。

川辺
かわべ

和歌山県中西部,日高川町西部の旧町域。日高川の中流域にある。 1955年丹生村,矢田村,早蘇村の3村が合体して町制。 2005年中津村,美山村と合体して日高川町となった。県下有数のナツミカンの産地で,ジュース工場がある。林業も行なわれる。中心集落の鐘巻にある道成寺は,大宝1 (701) 年紀道成 (きのみちなり) の建立といわれ,本尊の千手観音立像と菩薩立像はいずれも国宝に指定されている。安珍と清姫の一連の縁起物語「道成寺物」でも知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「川辺」の意味・わかりやすい解説

川辺[町] (かわべ)

岐阜県中南部,加茂郡の町。人口1万0593(2010)。南北に流れる木曾川支流の飛驒川沿岸の町で,飛驒高地と濃尾平野の接点に当たる。飛驒川沿いに国道41号線(飛驒街道)とJR高山本線が走り,街道沿いに集落が発達する。飛驒川の水運に恵まれ,かつては上流からの木材がいかだに組まれた綱場があった。江戸時代は天領,尾張藩領,旗本領で,天領の下川辺には下川辺役所が置かれ,初めは飛驒代官,天保期(1830-44)以降は笠松代官の配下となった。現在は近隣都市のベッドタウン化が進んでいる。町域の一部は飛驒木曾川国定公園に含まれる。
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川辺 (かわなべ)


川辺(和歌山) (かわべ)

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百科事典マイペディア 「川辺」の意味・わかりやすい解説

川辺[町]【かわなべ】

鹿児島県薩摩半島中部,万之瀬(まのせ)川中流の小盆地と周囲の山地を占める川辺郡の旧町。畑が卓越しサツマイモ,茶を産するほか,肉牛を飼育。木材も産し仏壇を特産する。2007年12月揖宿郡頴娃町,川辺郡知覧町と合併し市制,南九州市となる。127.35km2。1万4809人(2005)。

川辺[町]【かわべ】

和歌山県中央部,日高川下流域を占める日高郡の旧町。農業を主としてナツミカンなど柑橘(かんきつ)栽培が盛ん。紀勢本線が通じ,道成(どうじょう)寺がある。2005年5月日高郡中津村,美山村と合併し町制,日高川町となる。75.97km2。7023人(2003)。

川辺[町]【かわべ】

岐阜県南部,加茂郡の町。主集落は飛騨川の谷口にあり,舟運と飛騨街道の要所として発達,高山本線が通じる。米作,畑作が行われる。近年は宅地化が進む。一部は飛騨木曾川国定公園に属する。41.16km2。1万593人(2010)。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「川辺」の解説

川辺

正式社名「川辺株式会社」。英文社名「T.KAWABE&CO., LTD.」。卸売業。大正12年(1923)前身の「川辺富造商店」創業。昭和17年(1942)株式会社化。同39年(1964)現在の社名に変更。本社は東京都新宿区四谷。服飾雑貨専門商社。主力はハンカチーフ。ほかにスカーフ・タオルなど。百貨店向け輸入有名ブランド中心。JASDAQ上場。証券コード8123。

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