[ 二 ]について、[ 一 ][ 二 ]とも古くは「かわのべ」で、「二十巻本和名抄‐五」には「摂津国 〈略〉河辺〈加波乃倍〉」「出羽国 〈略〉河辺〈加波乃倍〉」とある。
和歌山県中部、日高郡(ひだかぐん)にあった旧町名(川辺町(ちょう))。現在は日高川町の西部を占める地域。旧川辺町は、1955年(昭和30)丹生(にう)、矢田(やた)、早蘇(はやそ)の3村が合併、町制を施行して成立。2005年(平成17)中津、美山の2村と合併して日高川町となった。JR紀勢本線(きのくに線)が通じ、湯浅御坊(ゆあさごぼう)道路の川辺インターチェンジがある。周囲は真妻(まづま)山などの山地で、地域の中央を日高川が西流する。日高川が平野へ入る河岸に中心地区の和佐、鐘巻(かねまき)がある。鐘巻には、文武(もんむ)天皇の勅願寺で、701年(大宝1)創建と伝えられ、安珍(あんちん)清姫の物語で知られる道成寺(どうじょうじ)がある。国宝の木造千手観音立像・同菩薩立像、室町時代の本堂、仁王門など国指定の重要文化財も多い。農林業を主とし、とくに夏ミカンの栽培が多い。
[小池洋一]
『『川辺町史』全4巻(1985~1991・川辺町)』
鹿児島県薩摩半島(さつまはんとう)南部、川辺郡にあった旧町名(川辺町(ちょう))。現在は南九州市の北西部を占める。旧川辺町は1923年(大正12)町制施行。1956年(昭和31)勝目(かつめ)村と合併。地名は万之瀬(まのせ)川辺の意による。2007年(平成19)知覧(ちらん)町と揖宿(いぶすき)郡頴娃(えい)町と合併、市制施行して南九州市となった。これにより川辺郡は消滅した。旧川辺町域は万之瀬川中流部の盆地と周囲の山地とからなる。国道225号が北東から南西に走る。中世に平氏の一族が川辺氏を名のり統治した所で、仏教文化が栄え「清水磨崖仏(きよみずまがいぶつ)」はその遺産である。こうした文化的風土に根をもつ家内工業の川辺仏壇は、全国に販路をもち、国の伝統的工芸品に指定されている。盆地中央部は南薩随一の水田地帯ともいわれ、畜産も盛んである。君野権現(きみのごんげん)洞穴、飯倉(いいくら)神社境内の大クスは県指定天然記念物。
[田島康弘]
『『川辺町郷土誌』(1976・川辺町)』
岐阜県中南部、加茂郡(かもぐん)にある町。1897年(明治30)町制施行。1955年(昭和30)上米田(かみよねだ)村と合併、1956年下麻生(しもあそう)町の大部を編入。集落や耕地は飛騨川(ひだがわ)の東西両岸の段丘上にあって、JR高山本線、国道41号、418号などの便がある。中心地区の中川辺は、江戸時代には旗本大島氏の陣屋町。誘致された繊維、金属などの製造工場がある。下麻生はかつて流送される木材をせき止めた綱場で、飛騨木材はここで筏(いかだ)に組まれ、下流へ運ばれた。米作や施設園芸が盛ん。面積41.16平方キロメートル、人口9860(2020)。
[上島正徳]
『『川辺町史』全3巻(1984~1996・川辺町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
岐阜県中南部,加茂郡の町。人口1万0593(2010)。南北に流れる木曾川支流の飛驒川沿岸の町で,飛驒高地と濃尾平野の接点に当たる。飛驒川沿いに国道41号線(飛驒街道)とJR高山本線が走り,街道沿いに集落が発達する。飛驒川の水運に恵まれ,かつては上流からの木材がいかだに組まれた綱場があった。江戸時代は天領,尾張藩領,旗本領で,天領の下川辺には下川辺役所が置かれ,初めは飛驒代官,天保期(1830-44)以降は笠松代官の配下となった。現在は近隣都市のベッドタウン化が進んでいる。町域の一部は飛驒木曾川国定公園に含まれる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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