朝日日本歴史人物事典 「鷹司政通」の解説
鷹司政通
生年:寛政1.7.2(1789.8.22)
幕末の公家(摂家)。鷹司政煕の子。文政6(1823)年関白・内覧となり,天保13(1842)年には太政大臣となる。安政3(1856)年関白を辞し,特旨をもって太閤と称された。同5年の条約勅許問題では,はじめ勅許を主張するが,鷹司家諸大夫小林良典らの入説により,まもなく態度を急変させ不許可の立場をとったため,安政の大獄(1858~59)によって落飾・慎を余儀なくされた。関白在職30年余におよび,博覧強記にして朝廷の故実に精通しており,後任の関白九条尚忠を小児のごとくあしらったという。
(箱石大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報