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摂政 せっしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

摂政
せっしょう

天皇が幼少であるか,女帝である場合,天皇に代わって政務を行なう職。摂政の初見は応神天皇のときの母神功皇后で,その後,推古天皇のとき聖徳太子が摂政となっている。しかし令制には取り入れられなかった。天安2(858)年清和天皇が 9歳で即位すると,ときの太政大臣藤原良房が政務を行ない,貞観8(866)年に万機摂行の詔を受け,人臣として初めての摂政となった。10世紀以後,幼帝の場合は常に摂政,成人ののちは関白が置かれ,藤原氏がこれに就任し,明治維新にいたった。1889年皇室典範に,皇族摂政の制が定められ,1921年大正天皇が病気のため,皇太子裕仁親王が摂政を務めた。第2次世界大戦後においては,日本国憲法5条に摂政は憲法上天皇の職務とされている「国事に関する行為」を,天皇の名において行なう。天皇が未成年の場合は,摂政は当然に設置されるが,その他の場合は,皇室会議の議によって置かれるとあり,また,摂政の必要な場合に,だれがそれに就任するかについて,皇室典範17条は,皇太子または皇太孫,親王および王,皇后,皇太后,内親王および女王の順位を定めている。

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デジタル大辞泉の解説

せっ‐しょう〔‐シヤウ〕【摂政】

君主に代わって政治を執り行うこと。また、その人。
昔、天皇が幼少または女帝などのとき、代わって政治を行うこと。また、その職。元来皇族が任ぜられたが、平安前期、清和天皇幼少のために藤原良房が任ぜられて人臣の摂政が始まった。
天皇が未成年(満18歳未満)のとき、または精神・身体の重患や重大な事故によって国事行為をみずから行えないとき、天皇の名で国事行為を行う人。皇室典範により、一定の順序で成年の皇族が任ぜられる。

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百科事典マイペディアの解説

摂政【せっしょう】

君主に代わって政務をとること,またはその者。古代日本では天皇の諸権限の完全な代理で関白より地位が高い。推古天皇当時の聖徳太子が最初。臣下では藤原良房が866年に就任。
→関連項目飛鳥時代一条実経一条天皇氏長者円融天皇王(皇室)外戚九条道家後一条天皇皇室会議皇太后皇太子国事行為代行法五摂家近衛家木幡四条天皇推古天皇清和天皇摂関摂関家渡領摂関政治大正天皇太傅鷹司家仲恭天皇藤原兼家藤原忠実藤原忠通藤原師実藤原頼経陽成天皇

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とっさの日本語便利帳の解説

摂政

天皇が幼少の時、それに代わって国政を行うこと、およびその職名。聖徳太子が推古天皇の摂政であったように、元来は皇族が任じられるものであったが、九世紀半ばより藤原氏が独占するようになる。

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世界大百科事典 第2版の解説

せっしょう【摂政】

君主に代わって万機を執り行う者,または執り行うことをいう。君主が未成年の間,あるいは君主に事故があった場合などに置かれる。
【日本】

[古代~近世]
 摂政はその出自より大別して,皇族摂政と人臣摂政に分けられる。《日本書紀》に仲哀天皇没後神功皇后が摂政になったとあるのを摂政の初例とするが,これは摂政というより称制というのにふさわしく,また伝説的要素も多く,信をおきがたい。古代における摂政の確実な例は,推古天皇の皇太子厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子),斉明天皇の皇太子中大兄皇子,天武天皇の皇太子草壁皇子の3例で,いずれも皇太子が天皇に代わって万機を摂行し,皇太子摂政ともいう。

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大辞林 第三版の解説

せっしょう【摂政】

君主に代わって政務を執り行うこと。また、その人。
日本で、天皇が幼少または女帝である場合、代わって政治を行うこと。また、その人や官。古くは皇族が任ぜられたが、平安以後、藤原氏が独占した。 → 関白
天皇が未成年であったり、病気・事故により国事行為を行えない場合、天皇の名で国事行為を行う者。皇室典範に定める順序により、成年の皇族が任じられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

摂政
せっしょう

天皇にかわって大政を摂行する重職。摂(せつろく)、執柄(しっぺい)などともいう。記紀によれば、応神(おうじん)天皇のときの神功(じんぐう)皇后が初例といわれ、推古(すいこ)朝の聖徳太子をはじめ、古くは皇族がこれに任ぜられたが、866年(貞観8)清和(せいわ)天皇の外祖父太政大臣(だいじょうだいじん)藤原良房(よしふさ)が臣下として初めて摂政の詔(みことのり)を受け、さらに冷泉(れいぜい)天皇(在位967~969)のころから、天皇幼少の間は摂政を、成年後は関白を置くのが慣例となり、朝廷最高の地位として「一(いち)の人」ともよばれた。そして制度上は、関白が天皇の補佐としてなお臣下の地位にとどまったのに対し、摂政は天皇の代理者として、ほとんど天皇に等しいといわれ、詔書に画可(かくか)(本来は天皇が「可」の字を親署する)を加える権限などをもった。良房以降、摂政は藤原氏北家(ほっけ)に伝えられ、藤原氏長者(うじのちょうじゃ)を兼帯するのが例となり、さらに道長(みちなが)以後はその子孫に独占されて江戸時代末に及んだが、王政復古の発令に際して、関白とともに廃止された。[橋本義彦]

憲法上の摂政

1889年(明治22)の旧憲法(大日本帝国憲法)上、天皇の名において大権(たいけん)を行使する者を摂政といい(17条)、旧皇室典範では、天皇が未成年(18歳未満)もしくは心身上の重患等の際、皇族会議および枢密顧問の議を経て原則として成年の皇族が任ぜられることになっていた(19条以下)。1921年(大正10)大正天皇の重患により、皇太子裕仁(ひろひと)親王(のちの昭和天皇)が摂政に就任したのはこの制度によるものである。
 日本国憲法上は、「摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」(5条)にすぎない。現皇室典範によれば、摂政は、天皇が未成年(18歳未満)のとき、もしくは心身上の重患または重大な事故の存するとき皇室会議の議によって置かれ(16条)、その在任中訴追されない(21条)。成年に達した皇太子または皇太孫を第一位とする皇族の摂政就任順位が定められている(17条)。[畑 安次]

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世界大百科事典内の摂政の言及

【摂関政治】より

…平安時代,藤原氏出身の摂政関白が天皇に代わって,あるいは天皇を補佐して行った政治。とくに967年(康保4)冷泉天皇の践祚後まもなく藤原実頼が関白となってから,1068年(治暦4)後三条天皇が皇位につくまでの約100年間の政治形態をいう。…

【天皇】より

…令制の太政大臣が唐制の三師,三公と異なる点は,菅原道真が指摘したように,分掌はないが,太政官の職事として天下の政を知り行うところにある。この権能がやがて人臣摂政に移り,さらに関白の職権となった。摂政は天皇幼少の間,天皇に代わって大政を摂行する臨時的な地位であるが,関白は大政総攬の権能をもつ天皇のもとで,百官総己を職権として執政する地位であった。…

【藤原良房】より

…857年(天安1)2月に良房は太政大臣となったが,これは令制の太政大臣とともに令制前の太政大臣の地位をも継承していたようで,実際には関白にふさわしい地位であった。翌年文徳天皇の死で清和天皇が9歳で即位し,良房は太政大臣として実際には摂政としての機能をもった。864年(貞観6)正月に15歳の天皇が元服し,866年に応天門の変で足場をかためた良房は,天皇の〈天下の政を摂行せしむ〉との詔をえて摂政となった。…

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