日本歴史地名大系 「鹿手袋村」の解説 鹿手袋村しつてぶくろむら 埼玉県:浦和市鹿手袋村[現在地名]浦和市鹿手袋(しかてぶくろ)一―七丁目・関(せき)一丁目田島(たじま)村の北東にあり、荒川の沖積低地に立地する。北は大戸(おおと)村(現与野市)など。高沼(こうぬま)新開に持添新田があるほか飛地もある。田園簿では田二一二石余・畑五四石余で、旗本水野領。国立史料館本元禄郷帳では旗本永見領・同中山領・幕府領の三給で、以後この三給のまま幕末に至る(改革組合取調書など)。元禄三年(一六九〇)に検地が実施されたと伝える。与野領に属し、化政期の家数四七(風土記稿)。用水は高沼代用水分流を使用していたが、天水場の沼影(ぬまかげ)村とは用水をめぐって度々出入が起きている(享保一六年「堰築留出入済口証文」・宝暦一一年「用水差障出入済口証文」細淵家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報