日本歴史地名大系 「麻布我善坊町」の解説 麻布我善坊町あざぶがぜんぼうちよう 東京都:港区旧麻布区地区麻布我善坊町[現在地名]港区麻布台(あざぶだい)一丁目明治五年(一八七二)旧幕臣邸・旧先手組与力同心大縄地に設定された町。西が麻布仲之(あざぶなかの)町・同市兵衛(いちべえ)町二丁目、北が同町一丁目・二丁目・芝神谷(しばかみや)町、東が西久保八幡(にしくぼはちまん)町、南が飯倉(いいぐら)町二丁目・同六丁目。天和三年(一六八三)の「紫の一本」にがぜぼ谷とあり、ついで龕前房谷の文字がみえる(貞享四年「江戸鹿子」など)。寛永三年(一六二六)の徳川秀忠夫人お江の増上寺から六本木(ろつぽんぎ)の火葬地に至る葬儀経路にあたり(文政町方書上など)、その設備跡で(江府名勝志)、龕前堂谷が正しいという(望海毎談)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by