飯倉(読み)いいぐら

改訂新版 世界大百科事典 「飯倉」の意味・わかりやすい解説

飯倉 (いいぐら)

東京都港区中央部の地区名。伝統的に呼ばれる麻布と芝の間にあり,もともとは武蔵野(山手)台地の一部である飯倉台地の中の北へのびる谷(神谷町へ通じる谷)の上流部分を指したが,しだいに周辺一帯が飯倉と呼ばれるようになり,現在の港区麻布台,東麻布一帯に当たる。付近一帯には霊友会本部,ロシア大使館ほか外国公館,アメリカンクラブなどがある。1888年設置された東京大学付属天文台は三鷹移転したが,その跡地には今も経緯度原点(東経139°44′40″5020,北緯35°39′17″5148)が置かれている。
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江戸城南地域の称で,東は芝,南は三田,西から北へは麻布に続く。名の初出は1184年(寿永3)源頼朝がこの地に伊勢神宮御厨(みくりや)を寄進したとみえる《吾妻鏡》で,その名は屯倉(みやけ)の設置による穀倉にちなむなどといい,早くから開けた土地である。近世には虎ノ門から三田,品川宿に至る往還沿いが早くに町場化し,飯倉1~6丁目,狸穴(まみあな)町,片町,永坂町が1662年(寛文2)に町奉行支配となり,さらにその周辺が寺社地や武家地となった。飯倉2~3丁目の境を四辻といい毎年7月12日に草市が開かれ,同5丁目に続く赤羽橋際は魚商人が毎朝いっとき商い見世を開くため俗に赤羽ちょろ河岸といった。またこの近くに1859年(安政6)外国人旅宿が置かれた。1827年(文政10)の資料によれば,前記の町のほか車坂町,天徳寺門前,葺手町,神谷町などの西久保地域を含め,当地域内の町数25,総家数約1900軒(地主・家持104,地守・家守246,地借310,店借1241)であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飯倉」の意味・わかりやすい解説

飯倉
いいぐら

東京都港区北部にある地区。現在の麻布台,東麻布の地域。地名由来は,昔,伊勢神宮の御田の地で,神前に捧げる米の倉があったことによる。江戸時代に東海道筋から虎ノ門や赤坂方面へ出る道筋の町として発達。現在も都心から京浜国道に出る道筋として交通が激しい。 1894年に東京大学付属天文台が開設された。 1924年,東京天文台 (現国立天文台) は三鷹市に移転,その跡地に日本経緯度原点が設置されている。

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