黒い九月(読み)くろいくがつ(英語表記)Black September

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒い九月」の意味・わかりやすい解説

黒い九月
くろいくがつ
Black September

パレスチナ・ゲリラの一組織。 1970年9月のヨルダンによるゲリラ弾圧にちなんで命名され,フセイン国王への報復を唱えて結成された。 70年 12月カイロでのヨルダン首相暗殺事件,72年9月ミュンヘン・オリンピック村襲撃事件,73年3月スーダンの首都ハルツームでのサウジアラビア大使館占拠事件などを起した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黒い九月の言及

【PLO】より

… カラーメの戦以後,ほぼ70年代初めまで続く主としてPFLP(パレスティナ解放人民戦線),PLO内の急進派による一連のハイジャックを含む過激な闘争(1970年のヨルダン連続ハイジャック,72年9月ミュンヘン・オリンピック事件,73年8月の日航機ハイジャックなど)は,アラブ支配層の不興を買った。とくに70年9月のヨルダン内戦では,PLOはヨルダン軍によって厳しい弾圧を受け,その活動の根拠地をこれまでのヨルダンからレバノンに移さざるをえなくなった(この弾圧は〈黒い九月〉とよばれる)。しかし一方,73年10月の第4次中東戦争以後,外交分野での活動は成功を収め,74年10月のラバトのアラブ首脳会議はPLOをパレスティナ人の唯一の正式代表と認めた。…

【レバノン】より

…そこには,19世紀とは逆にイスラム教徒人口の自然増が著しく,すでに人口比は逆転しており,彼らのアラブ民族主義への共鳴と政治的均等化への要求とが重なり合っている。その混迷は,数次にわたるパレスティナ難民の流入,とくに1970年代,ヨルダン王制のパレスティナ人弾圧(黒い九月事件)以降の大量流入でいっそう深まった。パレスティナ勢力が南レバノンで大きな軍事的勢力となると,1975‐76年には,キリスト教徒諸勢力とイスラム教徒(レバノン人とパレスティナ人)諸勢力が入り乱れるレバノン内戦に発展し,首都ベイルートは東(キリスト教徒地区)と西(イスラム教徒地区)に分断された。…

※「黒い九月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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