黒氏村(読み)くろじむら

日本歴史地名大系 「黒氏村」の解説

黒氏村
くろじむら

[現在地名]鳥屋町黒氏

長曾ながそ川と二宮にのみや川の複合扇状地に位置し、南東良川よしかわ村。西往来沿いに枝村深沢ふかそがある。中世一青ひとと庄の南域にあたると考えられ、「政所方書」永享一二年(一四四〇)六月五日の記事にみえる深沢吉久は、当地から一青村にかけて所在する深沢の土豪と思われる。天文一七年(一五四八)二月二〇日の気多社免田年貢支配状(気多大宮司家文書)によれば、神免田七〇刈の年貢三俵が「くろち村」定泉の沙汰分であった。

天正八年(一五八〇)から長連竜領となり、同氏は同年一月二二日家臣の荻野孫平兵衛尉に「黒地淵倉分」五貫文を扶持分のうちにあて(「長連竜判物」荻野文書)、二七日には関吉右衛門尉に黒地村六三貫文の地の代官職を申付けている(「長連竜判物」長文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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