日本歴史地名大系 「鹿島郡」の解説
鹿島郡
かしまぐん
能登半島の基部東側に位置し、口能登に含まれる。東は七尾湾と七尾市、北は能郡翼倚」「(裏)庸米六斗 和銅六年」とみえる。「能等」(国造本紀)とも記され、「ノト」(延喜式)と訓じた。郡名は能登・鹿島が中世以降江戸前期まで混用されたが、「能州郡方旧記」によると永禄八年(一五六五)能登郡から鹿島郡に改め、寛文一一年(一六七一)復した。さらに元禄一三年(一七〇〇)八月二一日鹿島郡とされた(「岡部氏御用留」加越能文庫)。以下の記述は七尾市成立以前の郡域を対象にする。
〔原始・古代〕
最も古い遺跡は鳥屋町
鹿島郡
かしまぐん
県東南部に位置する。東西を鹿島灘・北浦に挟まれ、南北に細長く弓状の地形をなすので鹿島半島ともいう。北は
「常陸国風土記」に「香島郡」とあり、鹿嶋郡と記された初見は「続日本紀」養老七年(七二三)一一月一六日条である。
〔原始〕
鉾田町
弥生時代の遺跡は少ないが、郡北部の台地を中心に石斧や農耕に利用された多くの遺物が出土しており、郡南部より早く農耕時代に入ったとみられる。古墳やその遺跡は七七ヵ所、七八六基を数え(鹿島町史)、県内では
〔古代〕
古くは鹿島郡は常陸国那珂郡と下総国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報