鹿島郡
かしまぐん
面積:二六三・〇〇平方キロ
鹿西町・鳥屋町・鹿島町・田鶴浜町・中島町・能登島町
能登半島の基部東側に位置し、口能登に含まれる。東は七尾湾と七尾市、北は穴水町、西は富来町・志賀町、南は羽咋市と富山県氷見市に接する。北から七尾西湾に面する中島町・田鶴浜町、内陸部を南に向かって鳥屋町・鹿西町、その東に鹿島町が位置し、七尾湾中央に能登島町がある。かつては七尾市全域と羽咋市北東部、穴水町の一部を郡域に含み、一方中島町の一部は羽咋郡に属していた。七尾南湾から南西に邑知地溝帯(邑知低地帯)が延び、地溝帯の東側は石動山(五六五メートル)を最高峰とする石動山系、西は標高二〇〇―三〇〇メートル前後の眉丈山系などの丘陵地、南は同三〇〇―四〇〇メートルほどの礪波丘陵北端部が郡境をなす。石動山を源とする二宮川が地溝帯を北流して七尾西湾に流出し、同山系を水源とする長曾川が地溝帯を南西に貫流して羽咋市の邑知潟に注ぐ。古代鹿島郡域は能登郡と称され、越前国に属した。平城宮跡出土木簡に「(表)越前国登
能郡翼倚」「(裏)庸米六斗 和銅六年」とみえる。「能等」(国造本紀)とも記され、「ノト」(延喜式)と訓じた。郡名は能登・鹿島が中世以降江戸前期まで混用されたが、「能州郡方旧記」によると永禄八年(一五六五)能登郡から鹿島郡に改め、寛文一一年(一六七一)復した。さらに元禄一三年(一七〇〇)八月二一日鹿島郡とされた(「岡部氏御用留」加越能文庫)。以下の記述は七尾市成立以前の郡域を対象にする。
〔原始・古代〕
最も古い遺跡は鳥屋町瀬戸地区にあり、縄文時代早期の楕円押型文土器が採集されているが、まだ発掘調査は行われていない。次いで早期末から前期初頭の標式遺跡(佐波式)として能登島町佐波遺跡が著名で、尖底土器から平底土器に移行した初期の漁労民たちの集落跡でもある。同期の遺跡に同町半浦遺跡や田鶴浜町吉田野寺遺跡・中島町小牧大杉谷内遺跡などがある。中・後期には大型集落も多数出現し、中島町田岸遺跡・田鶴浜町大津遺跡・七尾市赤浦遺跡(貝塚)・鹿島町福田原山遺跡・同徳前C遺跡などがあるが、福田原山遺跡は碁石ヶ峰(四六一・一メートル)に連なる標高約二三〇メートルの地に位置し、徳前C遺跡は地溝帯の低湿地で発見されたことで注目された。弥生時代に入ると地溝帯や中小河川の流域で開田が進み、中期中葉には七尾市細口源田山遺跡の方形周溝墓群が出現し、階層の分化が進行したことを示す。
鹿島郡
かしまぐん
面積:四六二・二七平方キロ
旭村・鉾田町・大洋村・大野村・鹿島町・神栖町・波崎町
県東南部に位置する。東西を鹿島灘・北浦に挟まれ、南北に細長く弓状の地形をなすので鹿島半島ともいう。北は涸沼を境に東茨城郡、南は利根川を境に千葉県、西は行方郡に接する。鹿島町以北は標高三〇―四〇メートル前後の台地が形成され、以南は低地と砂丘地帯が続く。郡北部の七瀬川および巴川の流水は流域水田を潤しつつ北浦へ注ぎ、さらに北浦を南流して、鰐川から外浪逆浦を経て利根川へ流出する。また旭村南端に源を発する大谷川は丘陵下の湧水を集めて北流し、台地を縦断して涸沼に注ぐ。
「常陸国風土記」に「香島郡」とあり、鹿嶋郡と記された初見は「続日本紀」養老七年(七二三)一一月一六日条である。
〔原始〕
鉾田町徳宿・大洋村梶山・旭村沢尻などから先土器時代の尖頭器やナイフ形石斧などが出土している。縄文遺跡は貝塚が中心で郡南部の丘陵斜面に多く存在し、鹿島町西側の台地一帯、神栖町中央部から鹿島灘に至る低地に密集する。郡北部では北浦北岸・巴川流域・涸沼付近に散在する。代表的貝塚としては鹿島神宮南側台地斜面の神野貝塚と北側の田野辺貝塚があげられる。神野貝塚は縄文晩期の貝塚で、注口土器・貝輪・子持勾玉・骨角器など多様な遺物を出土した。また田谷貝塚からは朱のついた土器片が発見されている。その他にも山之上貝塚・御手洗坂遺跡などがある。以上はいずれも鹿島町であるが、大洋村には二重作貝塚、波崎町には一丁目貝塚がある。
弥生時代の遺跡は少ないが、郡北部の台地を中心に石斧や農耕に利用された多くの遺物が出土しており、郡南部より早く農耕時代に入ったとみられる。古墳やその遺跡は七七ヵ所、七八六基を数え(鹿島町史)、県内では新治郡に次いで多く、鹿島町・鉾田町に密集する。代表的古墳群には鹿島町の宮中野古墳群・須賀古墳群・塚原古墳群が知られており、宮中野古墳群は大塚(勅使塚)・夫婦塚・小町塚など一一五古墳からなる大古墳群である。その他にも大洋村の北浦東岸の和田台地には前方後円墳や円墳が群をなしている。
〔古代〕
古くは鹿島郡は常陸国那珂郡と下総国海上郡の両郡域に属していたが、大化改新以降に鹿島神宮の神郡として両郡の一部を割いて成立したといわれる。郡名は神宮が天の大神・坂戸・沼尾の三社を総称して「香島の天の大神」(常陸国風土記)と称えたところから「香島郡」と称したが、「続日本紀」養老七年一一月一六日条に「鹿嶋郡」とみえるので、八世紀初頭までに現名に改称されたと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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