デジタル大辞泉 「二宮」の意味・読み・例文・類語
に‐ぐう【二宮】
2 2柱の神の宮。特に、内宮と外宮。
栃木県南東部、芳賀郡(はがぐん)にあった旧町名(二宮町(まち))。現在は真岡市(もおかし)の南部を占める地域。1954年(昭和29)久下田(くげた)町と物部(ものべ)、長沼の2村が合併し二宮町と改称。旧町名は二宮尊徳が報徳仕法を行ったことに由来。2009年(平成21)真岡市に編入。旧町域の中央部を第三セクター真岡(もおか)鉄道と並行して国道294号、408号が通じる。鬼怒(きぬ)・五行(ごぎょう)・小貝(こかい)の3河川が南流し、これらの沿岸低地が広く、水田が多い。水田裏作のイチゴ栽培が盛んで、県内の主産地の一つである。茨城県との境に位置するため、交通系統や商圏も南の同県筑西(ちくせい)市下館(しもだて)地区と北の真岡市中心市街とが競合する地区である。二宮尊徳ゆかりの国指定史跡の桜町陣屋跡や穴川(あながわ)用水がある。また専修寺(せんじゅじ)境内も国の史跡に指定されている。
[村上雅康]
『『二宮町史』全6巻(2005~ ・二宮町)』
神奈川県中南部、中郡(なかぐん)にある町。もと吾妻(あづま)村といっていたが、1935年(昭和10)の町制施行とともに二宮町と改称した。町名は、川勾神社(かわわじんじゃ)が古代から旧相模(さがみ)国の二宮(にのみや)であったことにちなむ。JR東海道本線、国道1号と中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理する小田原(おだわら)厚木道路、西湘(せいしょう)バイパスが通じている。二宮駅前の商店街が中心市街地。北に大磯丘陵(おおいそきゅうりょう)を負っているため気候が温暖で、早くから野菜の促成栽培が盛んで、ラッカセイも特産。丘陵の斜面はミカン園に開かれ、県立園芸試験場があったが、1995年(平成7)平塚市に移転し、跡地は二宮果樹公園となっている。南部の海は山西浦また袖(そで)ヶ浦とよばれ、魚族の豊富さと良質なことで知られ、シラスが有名、磯釣りの名所としても知られる。もともと湘南別荘地の一つであったが、近年海岸段丘上や丘陵の住宅地開発が著しい。西部の旧東海道に沿う梅沢茶屋町は立場(たてば)(宿場間の休憩場)で、いまもその名残(なごり)をとどめる。川勾神社では1月に1年間の農業の豊凶を占う筒粥(つつがゆ)神事が行われる。二宮駅近くの吾妻山公園には展望台があり、山の麓(ふもと)に吾妻神社がある。面積9.08平方キロメートル、人口2万7564(2020)。
[浅香幸雄]
『『二宮町史』全4巻(1990~1994・二宮町)』
神奈川県南部,中郡の町。人口2万9522(2010)。南は相模湾に臨み,大磯丘陵をひかえた傾斜地を占める。町名はこの地の川匂(かわわ)神社が相模国の二ノ宮であったことにちなむ。1920年ころから京浜市場向きに野菜の促成栽培や酪農が始められ,丘陵斜面はミカン園となった。ラッカセイの特産地として知られる。第2次大戦後は東京や横浜への通勤住宅地と化した。長寿の里としても知られ,老齢人口の割合が高い。1954年に完成した太平洋横断海底ケーブルの陸揚地点で,二宮海底線中継所がある。徳富蘇峰記念館があり,庭に古木の梅が並ぶ。JR東海道本線,国道1号線が通じ,山寄りに小田原厚木道路,海岸には西湘バイパス(高速道)が走る。
執筆者:千葉 立也+伊倉 退蔵
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…しかし,諸国において,由緒正しい古社で,国内で一番の崇敬をあつめ,経済的基盤も大きかった社を一宮と称したようである。また,それより,二宮,三宮と順次称することも生じた。そして,時代の下るとともに一宮に交替のあった国もあり,のち国内でなく郡内の一宮,二宮などの称も生じ,近世に入って,甲斐,肥前のごとく一宮争いが生じた国もある(表参照)。…
※「二宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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