鳥屋町(読み)とりやまち

日本歴史地名大系 「鳥屋町」の解説

鳥屋町
とりやまち

面積:二七・〇〇平方キロ

能登半島の基部、邑知おうち地溝帯の中ほどからやや北寄りに位置し、北から東は七尾市、東から南は鹿島町、南は鹿西ろくせい町、西は眉丈びじよう山系天池あまいけ台地羽咋はくい志賀しか町、北は田鶴浜たつるはま町と接する。東部の平坦地では北に向かって二宮にのみや川、南西方向に長曾ながそ川が流れ、両川がそれぞれ扇状地を形成する。水源地帯はいずれも石動せきどう山系で、地質軟弱な地滑地帯のため土砂の流出が著しく、天井川となっている。北西部は眉丈山系より奥能登へ続く丘陵性山地で、谷間を伊久留いくろ川が北流し下流で二宮川と合流する。


鳥屋町
とりやちよう

[現在地名]中区大手おおて町一―二丁目

白神しらかみ二丁目の一本西側にある筋の両側町で西は元安もとやす川に臨み、北はよこ町西側に隣する。「知新集」に「寛永承応絵図とも豆腐屋町とあり、天和三年の絵図にハ鳥屋町とミゆ」とあり、承応以降天和初め頃までに町名が改められたと推測される。町名は当時町年寄であった鳥屋八右衛門の屋号にちなんで名付けられたともいうが不詳。白神組に属した。

元和五年広島城下絵図に「たうふや町」として町間数四〇間とあり、寛永二年広島町数家数改め(済美録)でも「たうふや町」として本家二六軒・借家六六軒とあり、「知新集」に町門一、町間数四五間五歩四厘三毛、竈数三六(本竈八・借竈二八)、人数一六〇(男八三・女七七)、うち白銀細工一人と記す。


鳥屋町
とりやちよう

[現在地名]兵庫区本町ほんまち二丁目

小広こびろ町の北に接し、北中きたなか町南部で西に入る路地に沿うやや小規模な町(元禄九年「兵庫津絵図」井家蔵)。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に「鳥屋之町」とあり、屋敷地三筆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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