黒浜村(読み)くろはまむら

日本歴史地名大系 「黒浜村」の解説

黒浜村
くろはまむら

[現在地名]蓮田市黒浜・みどり一―三丁目・椿山つばきやま一―四丁目

じよう村の南、元荒川左岸に位置する。東は長崎ながさき村など、西は同川を隔てて上蓮田村、南は笹山ささやま村。村の南東に上沼(二〇町余)と下沼(五〇町余)がある。下沼は笹山・長崎二村にまたがり、溜井としても利用された。元荒川には水除堤があり、南の川島かわしま村に通じる道に土橋が架けられている(風土記稿)。戦国期頃に成立したとみられる市場之祭文写(武州文書)に「武州崎西郡黒浜市祭」とみえる。小名にほりうちがあり、野口氏館があったと伝える。永禄七年(一五六四)太田資正が国府台合戦で小田原北条氏に敗れた後、資正の郎党野口多門が帰農して居住したといわれる(岩槻巷談)

江戸時代初期には笹山村・長崎村を含んだといわれ(風土記稿)、元禄期(一六八八―一七〇四)までに両村が分村したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む