笹山村(読み)ささやまむら

日本歴史地名大系 「笹山村」の解説

笹山村
ささやまむら

[現在地名]津和野町笹山

もり村・町田まちだ村の東、青野あおの(九〇七・六メートル)南西麓の谷間の村。篠山とも記す。南谷みなみだに川が西流し中座なかざ村へ流れる。津和野城下から当村を通りすぎヶ峠(「すんがたお」ともいう)越で安芸国廿日市はつかいち(現広島県廿日市町)に至る道が通る。寛永一四年(一六三七)検地帳(津和野町郷土館蔵)によれば田高一一六石余・一一町四反余、畑高四九石余・一九町一反余、新開畑高二石余・二町一反余、名請人は八二、うち屋敷登録人一六・無屋敷五一・町人および商人一〇・職人三・下作一。

笹山村
ささやまむら

[現在地名]船引町笹山

つくもだ村の西、阿武隈高地中の丘陵に立地し、笹山川が丘陵の間を西流。中村(現相馬市)へ至る道が中央を通り、沿道集落が散在する。中世田村庄のうち。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢(青山文書)に「七段 七百文 ささやま」とみえる。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)には「篠山」とみえ、同額の年貢を紀州熊野新宮に納めている。同一八年一〇月九日の熊野新宮領差出帳(片倉文書)では三〇〇文を納めている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に村名がみえ、高六九六石余、権六の知行地

笹山村
ささやまむら

[現在地名]蓮田市笹山

元荒川の左岸黒浜くろはま村の東にあり、北は長崎ながさき村。古くは黒浜村のうちにあったといわれ(風土記稿)、元禄期(一六八八―一七〇四)までに分村したと考えられる(貞享三年の岩槻藩領郷村高帳など)。岩槻藩領で幕末まで変わらず。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)に村名がみえ、高九一石余、家数一九(うち本百姓五)、人数一二八。

笹山村
ささやまむら

[現在地名]新潟市笹山

蔵岡くらおか村の西南にあり、東は小杉こすぎ(現中蒲原郡横越村)、西は平山ひらやま集落(現同上)。「佐々山村」とも記された。元亀―天正年間(一五七〇―九二)の開発と伝えるが不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android