世界大百科事典(旧版)内のCornelius,P.vonの言及
【コルネリウス】より
…また著述家としても美術論や詩集を残している。ナザレ派の画家コルネリウスPeter von Cornelius(1783‐1867)は,父のいとこにあたる。【西原 稔】。…
【ナザレ派】より
…たとえば,ローマのバルトルディ荘(1816‐17)およびマッシモ荘(1822‐32)のフレスコ画共同制作はそれを物語っている。最も力量のあったコルネリウスPeter von Cornelius(1783‐1867)は,モニュメンタルで力強い作風により,模倣のもたらす硬化を補ったが,同時に当初の素朴で親密な敬虔(けいけん)さは希薄化した。歴史画・宗教画様式に変容したナザレ派は,24年コルネリウスのミュンヘン招聘(しようへい)を皮切りに新たなアカデミズムとしてドイツ各地に伝播し,とくにシャドーWilhelm von Schadow(1788‐1862)の率いる〈デュッセルドルフ派Düsseldorfer Molerschule〉は,全く写実化した様式でおもにドイツの伝説や宗教的主題を大画面に描き,一世を風靡(ふうび)した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」