FruškaGora(その他表記)FruskaGora

世界大百科事典(旧版)内のFruškaGoraの言及

【ユーゴスラビア】より


[17~19世紀]
バロックは17世紀より,スロベニアを中心にクロアチアやダルマツィアに,ウィーンやグラーツ,そしてベネチアからもたらされた。セルビアでは,オスマン帝国の支配下で,伝統はわずかにフルシュカ・ゴーラFruška Goraの修道院で守られるが,西欧の影響がみられるのは17世紀末になってからで,東方正教会の図像に従いつつもバロックを学び始める。ボジャニBodjaniの修道院にマケドニア出身のジェファロビッチHristifor Žefarović(?-1753)が1737年に描いたフレスコはその最初の成果であるが,その様式は独特であり,現代美術の特徴の一つであるナイーブ派(素朴派)を思わせる。…

※「FruškaGora」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む