世界大百科事典(旧版)内のFruškaGoraの言及
【ユーゴスラビア】より
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[17~19世紀]
バロックは17世紀より,スロベニアを中心にクロアチアやダルマツィアに,ウィーンやグラーツ,そしてベネチアからもたらされた。セルビアでは,オスマン帝国の支配下で,伝統はわずかにフルシュカ・ゴーラFruška Goraの修道院で守られるが,西欧の影響がみられるのは17世紀末になってからで,東方正教会の図像に従いつつもバロックを学び始める。ボジャニBodjaniの修道院にマケドニア出身のジェファロビッチHristifor Žefarović(?-1753)が1737年に描いたフレスコはその最初の成果であるが,その様式は独特であり,現代美術の特徴の一つであるナイーブ派(素朴派)を思わせる。…
※「FruškaGora」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」