デンマークの小説家。ユトランド半島の港町ディステズの裕福な商家に生まれる。コペンハーゲン大学で植物学を専攻、かたわらシェークスピア、ゲーテ、ハイネ、キルケゴール、フォイエルバハに傾倒、古い信仰を捨てて無神論を奉じる。この間ダーウィンにも傾倒し『種の起原』と『人類の由来』をデンマーク語に翻訳。このころから文学の道に進む決心を固め、まず中編小説『モーンス』(1872)を発表する。自然児として育った青年の愛の喪失と再生を描くこの作は、印象主義的タッチの清新さで、デンマーク文学に新紀元を開くものと評価され、ブランデスを中心におこった新文学運動の旗手となる。以後は、『マリー・グルッベ夫人』(1876)と『ニールス・リーネ』(1880)の2長編のほか、4、5編の短編を残したのみで、病弱の身を独身のまま閉じた。無神論の立場から人間の偉大さと卑小を追求する主題の追求力と、鏤骨(るこつ)の丹念な作風は死後いよいよ高く評価され、ことに詩人リルケが傾倒した。短編『フェンス夫人』は最後の作で、作者の人生の遺書ともいうべき名作。ほかに若干の詩がある。
[山室 静]
『山室静訳『ヤコブセン全集』全1巻(1975・青娥書房)』
デンマークの建築家、デザイナー。コペンハーゲンに生まれ、同地に没。1928年コペンハーゲンの芸術アカデミー建築科を卒業。まもなくル・コルビュジエに代表される国際合理主義建築を目ざして活動を開始。33年、コペンハーゲン近郊のベラビスタ集合建築の設計で頭角を現し、続いてオーフス市庁舎(1938~42)を共同設計で完成、国際的に知られた。第二次世界大戦後は、スーホルムの住宅群の設計(1950~55)、さらにアメリカ建築の強い刺激によるコペンハーゲンのイェスペルセン・ビル(1955)、SASビル(1957~60)などがある。家具、銀器、テキスタイルなどのデザインにも優れた成果を示した。
[高見堅志郎]
デンマークの作家。北ユトランドの港町ティステズの商家に生まれる。自然科学と文学に興味を覚え,学生時代植物学を専攻。淡水藻類の研究論文では金メダルを取る。《新デンマーク月刊》(1870-74)には自然科学者として執筆し,別にダーウィンの主要著書を翻訳して紹介に貢献した。その後,胸を病んで文学にのみ専心し,処女作《モーンス》(1872)を発表,一時代を画して自然主義文学の先達となる。すでに信仰上の違いから恋人とも決別し,〈キリスト教は一つの神話〉との言葉をもらしており,G.ブランデスを中心とする文学会に参加して新しい自由思想を作品に織り込む。長編《マリエ・グルッペ》(1876)は17世紀に実在した女性の一生を描いた人間の性の問題を,次の《ニールス・リーネ》(1880)では無神論のもつ問題をテーマとする。ほかに短編《ペルガモのペスト》(1881),《フェンス夫人》(1882)などがある。その繊細で優美な文体は,現代デンマーク文学が誇りうる最高の美文とみなされている。
執筆者:岡田 令子
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