世界大百科事典(旧版)内のGärtner,F.R.vonの言及
【クレンツェ】より
…古代の建築を題材とした絵画も残した。同国王の下で建築家ゲルトナーFriedrich Ritter von Gärtner(1792‐1847)と競合,建築思潮が歴史主義に転じるに伴い,国王の好みはゲルトナーに移った。ゲルトナーはルートウィヒ通りのルートウィヒ教会(1844),バイエルン国立図書館(1842),凱旋門(1852)などを設計,多様な歴史様式を使い分け,またルントボーゲン(丸アーチ)様式で知られる。…
【ネオ・ルネサンス様式】より
…19世紀前期のヨーロッパで起こったルネサンス建築様式の復興をいう。ドイツのゲルトナーFriedrich von Gärtner(1792‐1847)はミュンヘンに建てたルートウィヒ教会(1829‐40)および国立図書館(1831‐40)で,イタリアのロマネスク様式やルネサンス様式に近い単純な煉瓦造りの半円アーチ様式を採用したが,これが石材に乏しいドイツの状況によく適合して流行し,やがてゼンパーによるドレスデンの宮廷歌劇場(1838‐41)のような優雅なルネサンス様式の採用に変化した。イギリスでは,C.バリーのロンドンの旅行家クラブ(1830‐32)や自由党クラブ(1838‐41)のような,パラッツォの様式を採用したクラブ建築が流行し,フランスでも,ラブルーストのサント・ジュヌビエーブ図書館(1838‐40)や,デュケネーのパリ東駅(1847‐52。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」