世界大百科事典(旧版)内のGudden,B.A.vonの言及
【ルートウィヒ[2世]】より
… こうして,自分だけの世界に閉じこもって国情をかえりみなかったところから,しだいにプロイセン政府の圧力が加わり,側近の心も王から離れ,やがて王に対する禁治産宣告の声が高まってくる。86年6月8日には,時のミュンヘン大学精神科教授グッデンB.A.von Gudden(1824‐86)ら4人の医師が〈王の病は不治であり,政務を行うことは不可能である〉との精神鑑定書に署名することになる。6月10日に禁治産宣告をうけた王は,シュタルンベルク湖畔の離宮へ移され,幽閉の身になったが,ついで13日の日曜日,午後4時半すぎ,グッデンと散歩に出たままもどらず,その夜やっと二人は溺死体となって発見された。…
※「Gudden,B.A.von」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」