Konrad(その他表記)Konrad

世界大百科事典(旧版)内のKonradの言及

【シュタウフェン朝】より

… 1208年,フィリップが私怨によって暗殺され,中心を失ったシュタウフェン家の勢力を再び興したのは,フリードリヒ2世であった。彼の壮大な政治理念は,イタリアを中心とする地中海帝国の形成にあり,ドイツの統治は長子ハインリヒ7世,次子コンラート4世Konrad IV(ドイツ国王,在位1237‐54)にまかせた。フリードリヒの命とりになったのは教皇との対立であり,異端の烙印をおされ,教会の迫害者として破門された彼に対抗して,ドイツでは1246年ハインリヒ・ラスペが,1247年にはウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Hollandが国王に選出された。…

※「Konrad」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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