芸術に関する思索のうちには、エッセイ形式の観察や批評、芸談に類するもののように芸術論とよぶべきものと、思想家が独立した研究領域として展開する芸術学とがある。西洋の思想史を概観すれば、18世紀以前は芸術論の時代にすぎなかったといってよい。そのなかでほとんど唯一の例外はアリストテレスである。理論学と実践学と並べて制作学としての「詩学」(文芸創作の理論)を第三の学問領域としてたてた彼は、芸術学の祖とよぶにふさわしい。ピタゴラス派からボエティウスに至る音楽論は学問的ではあるが、数的関係とその調和を主題とするものであって、純粋に芸術の学とはいえない。古代においてこのほかにあったのは、史書や伝記、旅行記、博物学などのなかに展開された芸術観察を除けば、芸術家自身の綴(つづ)った技法書である。芸術論はルネサンス期に一つの興隆期を迎えるが、そこでも同じ性格が認められる。この「芸術家の美学」から学者の美学が生じ、芸術論だけでなく、学問的領域として芸術学が確立してくるのが18世紀である。
[佐々木健一]
それはまさに芸術という概念の成立する時代であり、芸術美の哲学としての美学を提唱したバウムガルテンと、芸術史(美術史)を創始したウィンケルマンとが、その象徴的存在である。以後、とくに芸術の原理的考察についていえば、それは美学として展開してきた。なぜならば人々は、芸術の本質が美の体験にあり、美のもっとも高度な形態が芸術にあると考えたからである。シェリングのような哲学者が美学といわずに芸術哲学を標榜(ひょうぼう)したのは、美学をさすÄsthetikという語が、本来「感性学」の意味であることを嫌ったためである。そして美と芸術との関係についての反省のなかから、美学と区別した芸術学という主張が生まれてくる。その先駆けとなったのはフィードラーKonrad Fiedler(1841―1895)であり、彼は、美が快感情の問題であるのに対して、芸術は形象をつくりあげ、その感覚形象を通して真理の認識を達成するのが本領であると主張した。
[佐々木健一]
この主張を受けて、19世紀後半のドイツにおいて芸術学は名実ともに成立する。まず芸術学Kunstwissenschaftという名称とともに、芸術の研究を美学から独立させようとしたのは、デッソワーMax Dessoir(1867―1947)とシュピッツァーHugo Spitzer(1854―1937)であり、さらに理論化を深めたのがウーティッツEmil Utitz(1883―1956)である。デッソワーは、個々の芸術ジャンルの理論的考察を旨とする個別芸術学と一般芸術学を区別し、個別芸術学の成果を総合しその基礎づけを行う課題を一般芸術学にゆだね、1906年には『美学一般芸術学雑誌』Zeitschrift für Ästhetik und allgemeine Kunstwissenschaftを創刊した。ウーティッツが力説したのも、芸術の事実と現実に密着してその本質を問うことである。そしてフィードラー以来の思潮を踏まえて、芸術が独特の形成活動であること、そしてこの形成活動のなかには美的な要素だけでなく、宗教的、倫理的、知的、性的などの要素が取り入れられ、これらいっさいが感情体験に向けて芸術作品に結晶化されると考えた。
このように一般芸術学は、芸術を唯美的思想から解放し、豊かな可能性を芸術に返したが、芸術の実相に即して考えるという態度は個別芸術学の発展と歩調をあわせていた。西欧語の芸術という語(Kunst ; art)は狭くは美術をさすから、芸術学とは美術学でもある。ヘーゲル学派の精神科学の概念に対応して、このほかに文芸学、音楽学、演劇学などの個別芸術学が提唱され、展開され始めたのも19世紀後半のことである。これらの個別芸術学は、実証性を重んずる立場から、少なくとも当初はおしなべて芸術史研究がその実質をなし、その一つの発展形態として、これも当時の潮流に沿って、比較文学や比較芸術学などの比較研究を生み出したが、やがてそれぞれのジャンルの本質をめぐる理論的研究にも取り組むようになってきている。
[佐々木健一]
個別芸術学が発展し続けて現在に至っているのにひきかえ一般芸術学のほうは、少なくとも「美学か芸術学か」として位置づけられるようなそれは、すでに過去のものとなっている。美学そのものが一般芸術学の主張を取り入れて変貌(へんぼう)を遂げるとともに、両者を対立させることは無意味になってしまった。そして芸術学という名称そのものは、「学」の性格を強調し、美学が哲学的であるのに対して、科学的ないしは少なくとも実証的な方法による芸術研究をさすように変化してきている。光学や音響学や工学のような補助学や、X線撮影のような補助手段の利用を除いて、芸術の科学に注目すれば、それはフェヒナーの実験美学を嚆矢(こうし)とし、それ以後、芸術体験の科学的心理学が主たるものであった。しかし20世紀後半になると、情報理論や統計学の応用、構造主義や記号論の展開のなかに、学的性格を強調した芸術学が大きな成果をあげるようになってきた。その成果が芸術哲学としての美学に影響を及ぼし、新しい展望を開きつつあることはいうまでもない。
[佐々木健一]
『竹内敏雄編『美学事典』増補版(1974・弘文堂)』
芸術学という用語は,ドイツ語のKunstwissenschaftの訳語として始まり,すでに定着したが,イギリス,アメリカ,フランスなどではこれに相当する語(例えばscience of art)は慣用されていない。Kunstには〈芸術〉と〈造形美術〉の広狭二義があり,それに応じて芸術学も多義的である。(1)最広義では芸術に関するあらゆる学問的研究を総称する。この場合,諸芸術に共通する法則の理論的研究を一般芸術学と呼んで,音楽学,美術学,文芸学など個々の芸術ジャンルに携わる特殊芸術学から区別することがある。(2)ことさらに〈芸術学〉と学問史上で強調されるのは,19世紀末から20世紀にかけて美学に対抗する意義を打ち出したものである。(3)原語にもどれば〈美術学〉とでも訳すべきもので,美術史をもふくめた造形芸術全般の学問的研究を総称する。
(1)18世紀に美学が成立し,美の新たな哲学的究明が始まるが,芸術は美と不可分であり,芸術研究は美学と緊密に結ばれた。こうしてシェリングは芸術研究を基礎づけるのは哲学しかないとし,ヘーゲルは在来の経験的芸術研究と抽象的な美の哲学を統合して美学を〈芸術の学〉と定めている。その後も近くはクローチェにみるように,本来の美を芸術にしか認めぬ学説では,美学がまさしく芸術学であり芸術哲学Kunstphilosophieであることになる。ひろく通用する芸術学の語に包括的体系性が感じられるのは,このような哲学的動向に支えられてのことである。
(2)19世紀後半,自然科学の発展につれて高まる学問全般の実証主義的傾向のなかで,芸術に対しても,これを具体的な経験的事実として科学的に研究する態度が生じた。前代の思弁的哲学的方法に対する方法論的反省の結果であり,一語としてのKunstwissenschaftもここに現れた。論者も多いが,グロッセErnst Grosse(1862-1927)は個々の特殊問題から芸術の普遍的本質を導くべきとして,人類学的方法にもとづく研究を提唱し,みずから原始民族の芸術を扱って社会現象としての側面に重点を移した。心理学的方法によるランゲKonrad Lange(1855-1921)は,美は作用の点であいまいさをとどめぬ芸術に即して研究すべきとし,意識的自己欺瞞(ぎまん)たる幻想(イリュージョン)を説く独自の芸術論を美学として展開した。他方デソアールMax Dessoir(1867-1947)は美と芸術とは双方の範囲が合致せぬことを重視し,美学と並ぶ〈一般芸術学allgemeine Kunstwissenschaft〉を主張,個々の芸術にはそれぞれ体系的特殊芸術学が成立するが,これら諸学の前提,方法,目的を吟味して重要な成果を総括し比較することを一般芸術学の課題とした。これをうけてウーティッツEwil Utitz(1883-1956)は,始祖をK.フィードラーと仰いでデソアールにつぐ自分の位置を見定め,一般芸術学の建設に尽くしたが,根本的課題は芸術の本質の認識にあるとして,はやくも哲学への傾斜を強めた。特殊芸術学は芸術に関する原理的問題を解明せずともある程度進むが,究極の足場を問われて一般芸術学に頼るとき,これは芸術に関する原理の学としてみずから哲学であることを要請され,芸術哲学となるからである。ほかに名を残すP.フランクル,カインツ,リュッツェラーなども同じ変容を示した。
芸術は美的ならぬ分子をいかに多くふくむとしても,美的価値の創造を本質的契機とする以上,芸術の本質や意味の研究は必ず美学の根本問題にふれて哲学化せざるをえない。こうして芸術学があらためて芸術哲学へと移行し,実際には美学と大差ないものとなるに及んで美学と芸術学の対立は解消した。
(3)芸術学を体系的美術論にかぎれば,のちに一般芸術学を誘発したフィードラーはひたすら造形芸術の原理をたずねて,これを純粋可視性とし,視覚的直観による認識が,知性によるのとは別個独自の芸術的世界を構成させるとみた。形式偏重の傾きをはらみながら,この芸術観は各方面を刺激し,美術史ではウェルフリンがとりいれて,様式の変遷を純粋な視覚的直観形式の自律的展開とみる形式主義的理論を樹立した。他方ゼンパーは芸術作品を使用目的,材料,技巧による型にはまった産物と規定したが,この唯物論的把握をしりぞけてリーグルは,一定目的を意識せる芸術意思の成果が作品であるとした。しかも様式の展開をウェルフリンのごとく純粋視覚の次元にとどまらせず,様式の根底にはそれぞれ固有の芸術意思をおき,芸術意思は世界観に根ざすとみた。このリーグルの洞察はウォリンガー,M.ドボルジャークらの文化哲学的もしくは精神史的な美術史を実らせた。
これら美術史家に生じた芸術学は,全体として理論的反省を強いて美術史学の基礎づけや方法論の確立に努めさせ,学問体系と歴史の相関について,とくに様式の本質や発展法則の論議を呼んだ。シュマルゾー,ケレン,フランクル,ティーツェ,D.フライ,パノフスキー,ゼードルマイヤー,リュッツェラーなどは,いずれも考察の視野を一般芸術学の範囲にまで広げた忘れがたい論者たちである。こうした全般的考察がはたされたために,近年の細目にわたる特殊研究の充実も可能になったといえよう。
→美学
執筆者:細井 雄介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…経営学,行政学,教育学などは,それぞれ企業,官庁,教育組織という特定領域の問題を専攻する領域学で,学問分野としては経済学や政治学や社会学や心理学に還元される(経営経済学,経営社会学,経営心理学等々)。宗教学や言語学や芸術学などは,社会学,心理学に還元される部分(宗教社会学,宗教心理学等々)以外は,人文学に属するものと考えておきたい。最後に歴史学は,人文学と社会科学にまたがる広大な学問で,社会科学に属する部門は経済史,政治史,社会史,法制史などとして,それぞれの個別社会科学の歴史部門を構成する。…
…だが諸文化のなかで美についての学問的探究をいちはやく展開したのは古代ギリシアであり,以来美学的思想の主潮はやはり西欧に流れてきたとみなければならない。 美のイデアを説いて美の哲学の基を築いたプラトン,悲劇を論じた《詩学》によって芸術学の始祖となったアリストテレス,はじめて独立の美論をまとめたプロティノス,ローマにおいては修辞学上の著作をもつキケロおよびクインティリアヌス,古代末期から中世に移れば神学的美論を説くアウグスティヌスやトマス・アクイナス,ルネサンスでは各種の美術論や詩学を述べる美術家や文人たち,これらはいずれも深く沈潜して傾聴すべき人々である。近世に入るや感性に対する新たな照明と相まって17世紀から18世紀前半にわたり美学成立の機運が生じた。…
※「芸術学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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