Vijayāditya(その他表記)Vijayaditya

世界大百科事典(旧版)内のVijayādityaの言及

【チャールキヤ朝】より

…以後両王朝間に抗争が繰り返されることとなり,王の晩年には逆に都バーダーミを占拠され,十数年間王朝支配は空白を余儀なくされた。654年ころビクラマーディティヤ1世Vikramāditya Iによって王朝が再興し,7代王ビジャヤーディティヤVijayādityaの治世には最も平和で安定した時期を迎えた。次王ビクラマーディティヤ2世は,パッラバ朝の都カーンチーを3度にわたって占拠し,デカン進出を企てたアラブ勢力を阻んだが,封臣たちがしだいに地方の有力者と化し,755年ころ9代王キールティバルマン2世が封臣のダンティドゥルガDantidurgaによって廃されて,その地位をラーシュトラクータ朝にとって代わられた。…

※「Vijayāditya」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む