世界大百科事典(旧版)内のZamālekの言及
【カイロ】より
…フランスのウジェニー皇后が訪れて以来,ナイル西岸のギーザにも高級住宅地が発達し,1908年その北にカイロ大学が創設されたこととも相まって,周辺の開発がすすんだ。現在いまひとつの高級住宅地となっているナイル川の島ゲジーラ島の北部ザマーレクZamālekは,イギリス占領時代には島の南部にエジプト人立入禁止のスポーツ・クラブがあったので開発が遅れ,クラブがエジプト人の入会をも認めるようになる1930年代以降に発達した。 このような外国人や大地主,官僚などの住む新市街に対して,旧中間層の住む旧市街はしだいに斜陽化してゆくが,まだ民衆の根につながった活力をもっていることは,アズハル広場が1919年の独立運動など民衆運動の発火点にしばしばなったこと,旧市街の問屋商人が現在なお世界各地との貿易に従事していることなどにうかがえる。…
※「Zamālek」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」