改訂新版 世界大百科事典 「プラハ言語学派」の意味・わかりやすい解説
プラハ言語学派 (プラハげんごがくは)
1920年代にチェコスロバキアのプラハで興った構造主義の古典学派の一つで,言語学を中心に文芸理論とフォークロア研究の領域で華々しい活躍をした。プラハ言語学サークル,プラーグ学派などとも呼ばれる。この学派の中心になったのはチェコ人のマテジウスVilém Mathesius(1882-1945)とロシア人のR.ヤコブソンで,このほかにやや遅れてこの学派に加わったN.S.トルベツコイ,文芸理論で業績を残したムカジョフスキーJan Mukařovský(1891-1975)や,フォークロア研究でのボガトゥイリョフPëtr Grigorievič Bogatyrëv(1893-1971)らがいる。
この学派の理論的先駆者はボードゥアン・ド・クルトネとF.deソシュールで,前者の〈機能〉,後者の〈構造〉という概念を受け入れて,言語,文芸理論,フォークロアなどの分野でこの二つの基本概念から分析を行い,今日でも依然として価値のある業績を残している。この学派が残した功績は20~30年代の音韻論,30~40年代の構造美学,40~50年代の記号芸術論と,その適応領域は広く,文の分析を言語外現実との関連でとらえる〈テーマ・レーマ理論〉は30年代から80年代まで発展を続けている。
この学派の第1期はナチスによるチェコ占領の1938年までで,この時期には国内向け雑誌《言葉と文学Slovo a slovesnost》と外国向けの紀要《TCLP(Travaux du cercle linguistique de Prague)》におもな業績が現れている。学派それ自体は52年にチェコスロバキア学士院へ改組されるが,サークルとしてスタートしたこの学派の伝統は,スカリチカVladimír Skalička,バヘックJ.Vachek,ホラーレックK. Horálekらの第2期のメンバーに受け継がれ,類型論,文体論,中心領域・周辺領域理論,テーマ・レーマ理論など第1期に劣らぬ隆盛をみせる。しかし,68年のソ連軍のプラハ侵入以後衰亡し,わずかにF.ダネシュ,K.ハウゼンブラス,P.ズガル,O.レシュカ,J.フィルバスらが個別に研究を発表しているにすぎない。なおこの学派にはB.ハブラーネック,S.カルツェフスキーらのスラブ語の研究も多い。
→構造言語学 →詩学[フォルマリズムに始まる詩学の発展]
執筆者:千野 栄一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報