上野殿の母(読み)こうずけどのはは

朝日日本歴史人物事典 「上野殿の母」の解説

上野殿の母

生年生没年不詳
鎌倉時代の日蓮信者。上野殿,上野殿後家尼御前ともみえる。文永7(1270)年から弘安4(1281)年12月までの日蓮書状がある。駿河国(静岡県)松野郷の領主松野六郎左衛門入道の娘,駿河国富士郡上野郷の地頭で御家人南条兵衛七郎の妻,七郎次郎時光,七郎五郎の母。夫妻,家族ともに日蓮の信者であった。実父,夫,子の供養のために身延の日蓮に銭,米麦,芋,油,塩,衣など種々の品を送っている。<参考文献>『日蓮聖人遺文』,高木豊「日蓮と女性檀越」(宮崎英修先生古稀記念会編『日蓮教団の諸問題』)

(西口順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報