御願干瀬(読み)うがんびし

日本歴史地名大系 「御願干瀬」の解説

御願干瀬
うがんびし

[現在地名]久米島町奥武

久米島の北東部から東方海上に約一二キロに延びる堡礁状のサンゴ礁東端御願崎うがんざち(御神崎、拝み崎)という。正保国絵図には「おかミ崎」とみえ、真謝まーじや入江よりの距離七里とある。御願干瀬にテーブルサンゴなどの岩屑が堆積してできた小島があり、灯台が設置されている。一八八六年(明治一九年)の「寰瀛水路誌」には「エリザベス礁」と立項され、九四年の「日本水路誌」には「尾神礁と称ス此礁ハ甚危険ナルカ故遠ク之ヲ避クヲ要ス」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の御願干瀬の言及

【久米島】より

…島の北部に大岳(326m),宇江城(うえぐすく)岳(310m)など,南東部には阿良岳(287m)などの山地があり,中央部には標高50~100mの台地が広がってともに安山岩からなるが,西部の台地は琉球石灰岩からなる。海岸には段丘地形がみられ,南西側および東側洋上にはサンゴ礁の発達が著しく,とくに東側のものは延々12kmにおよび御願干瀬(うがんびし)と呼ばれる。久米島は古くは球美(くみ)島と呼ばれ,琉球王府時代は琉球と中国を結ぶ航路の要衝であった。…

※「御願干瀬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」