高浜(読み)タカハマ

デジタル大辞泉 「高浜」の意味・読み・例文・類語

たかはま【高浜】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「高浜」姓の人物
高浜虚子たかはまきょし
高浜年尾たかはまとしお

たか‐はま【高浜】

砂が高く積もっている浜。一説に、広く長い浜の意という。
豊国とよくに企救きくの―高々に君待つ夜らはさ夜ふけにけり」〈・三二二〇〉

たかはま【高浜】[福井県の地名]

福井県西端、大飯おおい郡の地名。若狭わかさに臨み漁業が盛ん。海岸は海水浴場

たかはま【高浜】[愛知県の市]

愛知県中部の市。境川の東岸にあり、瓦製造・養鶏・人形生産が盛ん。人口4.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「高浜」の意味・読み・例文・類語

たか‐はま【高浜】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 砂が吹き寄せられて、岸に高く積もっている浜(一説に、広く長い浜)。また、地名ともなる。
    1. [初出の実例]「多賀波麻(タカハマ)に 来寄する浪の」(出典:常陸風土記(717‐724頃)茨城・歌謡)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 茨城県石岡市の地名。旧新治(にいはり)高浜町。昭和二八年(一九五三)石岡市に編入。霞ケ浦に面し、恋瀬川の河口にある。古くから水運で栄え、昭和初期まで霞ケ浦沿岸の物資を集散していた。舟塚山古墳がある。
    2. [ 二 ] 新潟県柏崎市の地名。旧刈羽郡高浜町。昭和三二年(一九五七)柏崎市に編入。
    3. [ 三 ] 福井県西端の地名。若狭湾に面し、青葉山と白砂青松の海岸は若狭湾国定公園の一部。夏、海水浴客でにぎわう。
    4. [ 四 ] 愛知県中部の地名。特産の三州瓦と養鶏とで知られる。また、自動車関連の工場も進出し、衣浦(きぬうら)臨海工業地域の一部となる。昭和四五年(一九七〇)市制。
    5. [ 五 ] 大阪府三島郡島本町の地名。古くから開発され、藤原一族の別荘地ともなり、松林の景勝にすぐれた和歌の名所であった。
      1. [初出の実例]「和泉に下るに〈略〉たかはまといふ所にとどまりたる夜」(出典:更級日記(1059頃))

たかはま【高浜】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「高浜」の解説

高浜
たかはま

中世よりみえる彼杵そのき戸町とまち浦の地名。文永年間(一二六四―七五)と思われる年欠八月一一日の石塚寂然請文(深堀文書、以下断りのない限り同文書)に「肥御崎寺領内切杭高浜」とみえ、寂然は数十年(十数年か)前に切杭きりくい高浜たかはまの両所に蓮上(深堀行光)が乱入して寺用米一〇〇余石ならびに数十余町の田畠作毛や船所出物を押取り、あるいは百姓・所従を召し籠め沽却したとたびたび訴えており、両所が彼杵庄戸町浦と伊佐早肥御崎いさはやひのみさき寺とのいずれに属するかという相論になっている。また弘安五年(一二八二)九月日の入道二品親王庁下文に「戸八浦内切杭高浜」とあり、両所を峯致道が本所一円所領と主張して本家の京都仁和寺より宛行われたが、深堀時仲が本司戸町俊長らや深堀行光以来の知行を訴えて認められ、この日改めて仁和寺から時仲に宛行われている。正応二年(一二八九)時仲は鎮西談議所において肥前国御家人の峰藤次入道浄忍(致道)が「切杭・高浜両浦」を押妨した件について審理中にもかかわらず、浄忍がひそかに上洛して仁和寺に訴えようとしたため、その訴えの却下を仁和寺に求めている(同年一一月日深堀時仲代西浄申状)。このように上総国御家人の深堀氏が承久の乱の戦功で建長七年(一二五五)当地に入ってきたことから、周辺諸氏との緊張を生んだ。正応二年六月、明心(時光)は「たかハまのむら」および「くちのふなつ」の在家などをけさくま(次男清光)に譲っているが、「あミうとつりうと」(網人・釣人)については互いに違乱のないようにと念押ししており(同年六月二六日深堀明心・同時仲連署譲状)、船津在家を拠点とする網人・釣人が海夫船をもって活動していたことが想定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高浜」の意味・わかりやすい解説

高浜(町)
たかはま

福井県西端、大飯郡(おおいぐん)の町。京都府舞鶴(まいづる)市に隣接する。1912年(明治45)町制施行。1955年(昭和30)内浦、青郷(せいきょう)、和田の3村と合併。大島半島基部から内浦湾にわたる若狭(わかさ)湾岸を占め、国道27号(丹後(たんご)街道)とJR小浜線(おばません)が東西に走る。町の南部を舞鶴若狭自動車道が通過し、隣接するおおい町に大飯高浜インターチェンジがある。西半は青葉(あおば)山の火山性噴出物に覆われ、東半は丹波(たんば)高地周辺の低山地で、子生(こぶ)川河口の小平地に中心の高浜が立地する。戦国期の城跡はいま城山公園となり、その下に漁港がある。この付近から和田にかけての砂浜は夏は京阪神からの海水浴客であふれ、週末には釣り客が多い。海岸は若狭湾国定公園に属し、内浦半島先端の音海(おとみ)には海抜270メートルに達する壮大な海食崖(がい)が発達する。同じ半島の基部に関西電力の高浜原子力発電所が立地する。青葉山の中腹には真言宗御室(おむろ)派の中山寺(なかやまでら)がある。泰澄(たいちょう)の創建と伝え、本堂、本尊の馬頭観音坐像(ざぞう)は国指定重要文化財。面積72.40平方キロメートル、人口1万0326(2020)。

[島田正彦]

『『高浜町誌』(1966・高浜町)』



高浜(市)
たかはま

愛知県南西部にある市。衣ヶ浦(ころもがうら)湾に注ぐ境川東岸に位置し、名古屋鉄道三河(みかわ)線、国道247号、419号が通じ、247号の衣浦(きぬうら)大橋で対岸の半田市と結ばれている。1970年(昭和45)市制施行。江戸中期に始まった三州瓦(さんしゅうがわら)生産の中心地で、江戸では三州黒瓦として珍重され、刈谷(かりや)藩外港の高浜湊から積み出された。第二次世界大戦後はトンネル窯の製法が開発され、赤瓦、カラフルな釉薬(ゆうやく)瓦もつくられるようになった。1995年(平成7)やきものの里かわら美術館が開館している。吉浜は大規模養鶏地帯で、育雛(いくすう)の先進地。また人形生産では日本有数で、吉浜細工人形づくりは県の無形文化財に指定されている。細工人形の技術は江戸時代に農民芸術としておこったが、現在、名古屋城はじめ全国菊人形展には欠かせない技術となっている。衣浦臨海工業地域東部地域に含まれ、木材加工、機械製造の工場も多い。面積13.11平方キロメートル、人口4万6106(2020)。

[伊藤郷平]

『『高浜市誌』全9巻(1966~1985・高浜市)』



高浜(愛媛県)
たかはま

愛媛県松山市の臨海地区。四十島(しじゅうじま)瀬戸を隔てて興居(ごご)島と対する。漁村集落であったが、1892年(明治25)に松山からの伊予鉄道が延長され、旅客船用の港が開かれた。松山と中国・阪神・九州地方を結んだが、1968年(昭和43)北部に松山観光港が開港したため、現在は中島や興居島を結ぶ離島航路の港となっている。

[横山昭市]


高浜(石川県)
たかはま

石川県羽咋(はくい)郡志賀町(しかまち)南部の一地区。近世初期に若狭(わかさ)(福井県)高浜の漁民が移住して漁業と商業を営み、日本海航行の北前船(きたまえぶね)で栄えた。近世安部屋縮(あぶやちぢみ)を産したが、現在は合繊織物工業が盛ん。海岸には砂丘が発達し海水浴場がある。

[矢ヶ崎孝雄]


高浜(茨城県)
たかはま

茨城県中部、石岡市(いしおかし)の一地区。旧高浜町。霞ヶ浦(かすみがうら)の高浜入(いり)に注ぐ恋瀬(こいせ)川の河口に位置し、JR常磐(じょうばん)線高浜駅がある。霞ヶ浦水運交通で栄え、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』にも記された港町で、1940年(昭和15)代まで沿岸物資の集散地であった。国指定史跡舟塚山古墳(ふなづかやま)と釣りの名所で知られる。八木(やぎ)干拓地は霞ヶ浦最初の干拓地。

[櫻井明俊]

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改訂新版 世界大百科事典 「高浜」の意味・わかりやすい解説

高浜[市] (たかはま)

愛知県西部,衣浦(きぬうら)湾に面する臨海工業都市。1970年市制。人口4万4027(2010)。江戸時代中期から興った三州瓦生産の中心地で,現在も赤瓦,釉薬瓦は全国的販路をもっている。沿岸部は1970年代より衣浦臨海工業地域として開発が進み,輸送機械,木材関連産業が進出,窯業の占める割合は低下した。農業は稲作中心の複合経営が行われ,昭和初期からの大規模養鶏地として知られる吉浜地域,水稲を主とする高取地域,兼業農家の多い高浜地域に大別できる。水産業は養鰻業が中心で,ビニルハウス養殖が盛ん。衣浦湾対岸の半田市とは衣浦大橋で,西部を縦断する名鉄三河線で北の刈谷市,南の碧南市と各々結ばれる。吉浜細工人形とえんちょこ獅子は県文化財に指定されている。
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高浜[町] (たかはま)

福井県西端,若狭湾に面する大飯(おおい)郡の町。人口1万1062(2010)。丹波高地の山地が町域を広く占め,海岸部に低地が開ける。丹後街道(国道27号線),JR小浜線が通る中心の高浜は江戸初期から在郷町として発達したが,現在は水産物を集散する漁港となっている。西部の内浦港は木材輸入港で貯木場に利用される。若狭湾国定公園に属し,若狭富士と呼ばれる青葉山(693m)や今戸鼻,音海断崖などの景勝と海水浴で観光客を集めている。室町時代の若狭守護武田氏の被官逸見氏の拠った砕導山(さいちやま)城跡と高山城跡,真言宗の古刹(こさつ)中山寺がある。また関西電力高浜原子力発電所がある。
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百科事典マイペディア 「高浜」の意味・わかりやすい解説

高浜[町]【たかはま】

福井県西端,大飯(おおい)郡の町。小浜(おばま)線が通じる中心集落は若狭湾の支湾高浜湾に臨む漁港で,丹後街道(国道27号線)が通じる水産物の集散地。若狭湾国定公園に含まれ,西部には音海(おとみ)断崖と呼ばれる景勝地,展望のよい青葉山がある。72.40km2。1万1062人(2010)。

高浜[市]【たかはま】

愛知県中部の市。1970年市制。知多湾最奥東岸,衣浦(きぬうら)港の一角を占める。古くから三州瓦,陶管など窯業が盛んで,衣浦工業地域の一部をなし,近年は輸送用機器工業が大きく発展している。吉浜は養鶏が盛んで,吉浜細工人形(菊人形の一種)でも有名。名鉄三河線が通じ,名古屋市への通勤者が多い。13.11km2。4万4027人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高浜」の意味・わかりやすい解説

高浜
たかはま

茨城県中部,石岡市南東部の旧町域。霞ヶ浦の高浜入 (たかはまのいり) に臨む集落。 1889年町制施行。 1953年石岡町に編入,1954年石岡市となる。恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ地点にあり,常磐線開通以前は,霞ヶ浦水運の河港として栄えた。

高浜
たかはま

愛媛県北西部,興居 (ごご) 島に面する松山市の外港。三津浜港が主として貨物と島通い船の発着港であるのに対して,高浜は瀬戸内海航路の旅客の港で,松山観光港とも称し,5000t級の船が接岸する。松山の中心市街地から高浜まで伊予鉄道が開通した 1892年以来の港。

高浜
たかはま

石川県,能登半島西岸にある志賀 (しか) 町の中心地区。旧町名。近世初期,若狭 (福井県) 高浜町の漁民が移住し形成した。

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事典・日本の観光資源 「高浜」の解説

高浜

(長崎県五島市)
日本の渚・百選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の高浜の言及

【石岡[市]】より

…茨城県の中央部にある市。1953年高浜町を編入し翌年市制。人口5万2714(1995)。…

※「高浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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