源頼朝墓(読み)みなもとのよりとものはか

日本歴史地名大系 「源頼朝墓」の解説

源頼朝墓
みなもとのよりとものはか

[現在地名]鎌倉市西御門二丁目

大倉おおくら幕府跡の北側、頼朝の法華堂(墳墓堂)跡に玉垣に囲まれて建つ江戸時代の層塔。総高一八六センチ。国史跡。供養塔と称すべきであろう。

正治元年(一一九九)一月一三日に没した頼朝の遺骸は幕府後方の丘陵中腹にあった持仏堂に葬られ、これを墳墓堂と称したという。現在の塔は鶴岡荘厳しようごん院の住持勝長寿しようちようじゆ院跡から移したといい(神仏分離史料)、これ以前の様子については、寛政七年(一七九五)の宮川春暉「東西遊記」に、大倉幕府跡の少し上の方に頼朝の塚があり、近いうちに塚が修造される話もあって鎌倉の人々が喜んでいると伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「源頼朝墓」の解説

みなもとよりとものはか【源頼朝墓】


法華堂跡〈源頼朝墓-北条義時墓〉(ほっけどうあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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