明治五年廃藩の後に廃された天台宗本山派の修験の地。
聖護院配下の本山派修験として活躍した大井氏は、その邸内に中世以来法華堂(護摩堂)を有し、法華堂とも俗称されていた。
正和二年(一三一三)、法華堂源覚が大井一家・依田一族などの熊野・二所の先達職となっていたことが某先達職宛行状写(大井文書)にみえる。
右文書をはじめとして以降「熊野・二所之先達職」の補任状及び譲状と称する中世文書を所蔵する由緒を誇り、少なくとも中世末期には、佐久郡一円及び
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法華経信仰による仏堂。時代や宗派によって形式内容に相違がある。奈良時代の東大寺では《法華経》〈普門品〉との関係で,観音像を祀る正堂と祭儀のための礼(らい)堂とを双堂(ならびどう)とした。平安時代には天台・真言両宗とも常行三昧堂と法華三昧堂を設けた。この二つの堂を廊でつないだものは,天秤で荷をかつぐ姿に似るため担い堂(にないどう)と呼ばれた。両堂とも一間四面に孫庇(まごびさし)をめぐらした五間堂で,中央の仏壇四周をめぐる修法が行ぜられた。略式の三間堂や一方のみ孫庇を付した例(兵庫県鶴林寺太子堂)もあった。平安末期以降,三間堂(法華堂)は墓堂(深草十二帝陵など)としても使用された。日蓮宗も法華経巻を奉祀する法華堂を設けたが(千葉県法華経寺法華堂,室町時代),また日光輪王寺法華堂(1619)のように後世,天台宗でも堂内行道を目的としない平面になっている。
執筆者:沢村 仁
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…奈良の大寺は中心伽藍のほか,各種の機能を果たす院や本尊以外の仏菩薩などをまつる別院が寺内に置かれ,広大な寺地をもった。東大寺内も別院が多く,羂索院法華堂(三月堂)は双堂(ならびどう)形で建てられ,鎌倉中期に礼堂を再建して1棟とした西大寺は2棟の華麗な金堂をもち,多数の院ごとに仏堂と僧房を有した。唐から律を伝えた鑑真の唐招提寺は私寺ながら4町の寺地を有し,当時の金堂,講堂を存している。…
…しかし今日なお多くの文化財を有し,とりわけ12世紀末と18世紀初めの復興もあって,創建時の奈良時代,復興時の鎌倉時代,江戸時代の優れた文化財を残している。(1)奈良時代 建築では法華堂(三月堂),北西の門にあたる転害(てがい)門,正倉院ほか数棟の校倉(あぜくら)がある。法華堂は古く羂索堂とも呼ばれ,正堂と礼堂(らいどう)を並べる双堂(ならびどう)であったが,南側の礼堂は鎌倉中期に再建され,両堂をつないで一棟とされた。…
…また鑑真に随行した工人によっても特色ある新様式の木彫群が製作されたが,765年(天平神護1)に西大寺が創設され,密教像も造像されるようになる。今日残された東大寺法華堂,戒壇院などの彫刻群や正倉院の工芸品をはじめとする優品は,唐の影響や渡来工人の新技術によることはいうまでもないが,律令制下における総括的で緊密な工人組織によって初めて可能であった。なお766年には伊勢神宮寺に丈六仏が造られるなど,神仏習合思想による造寺・造仏が,このころより現れ始める。…
※「法華堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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