日本歴史地名大系 「法華堂跡」の解説
法華堂跡
ほつけどうあと
現在の源頼朝墓がある所に構えられていたという頼朝の墳墓堂跡。国史跡。正治元年(一一九九)一月一三日に没した頼朝の遺骸は、幕府後方の丘陵にあった持仏堂に葬られ、これを墳墓堂と称したという。
「吾妻鏡」正治二年一月一三日条に、頼朝一周忌を迎え「於彼法花堂、被修仏事」とあり、北条時政以下諸大名が群参したという。同書によると翌月二日条に北条政子の立願で「故将軍法華堂」で法華懺法を行ったのをはじめ、建仁三年(一二〇三)一〇月一三日条に実朝の参堂など、政子や実朝、北条泰時・時頼やおもだった武将らの参詣は絶えず、毎年のように各種の仏事が営まれている。同年一一月一五日条には「右大将家法花堂」奉行として安達景盛ら三人が任ぜられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報