石碑(読み)セキヒ(英語表記)shí bēi

デジタル大辞泉 「石碑」の意味・読み・例文・類語

せき‐ひ【石碑】

石に業績や事跡を記念する文字を刻んで建てたもの。いしぶみ。
墓石。石塔。
[類語](1句碑詩碑歌碑墓碑記念碑モニュメント/(2墓石墓碑墓標

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精選版 日本国語大辞典 「石碑」の意味・読み・例文・類語

せき‐ひ【石碑】

〘名〙
石造りの碑。石に記念の文を刻んで建てたもの。いしぶみ。
太平記(14C後)六「石碑(セキヒ)の上に消え残れる三十一文字を見る人、感涙を流さぬは無かりけり」 〔後漢書‐儒林伝序〕
② 墓標の石。はかいし。石塔。
※浮世草子・近代艷隠者(1686)五「身に親しき一門迚も跡吊(とふら)ふ業さへなさず、〈略〉已飢ながら石碑(セキヒ)立べき望ありしとかや」

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改訂新版 世界大百科事典 「石碑」の意味・わかりやすい解説

石碑 (せきひ)
shí bēi

中国では石材を一定の形に加工して,紀念の文章を刻みつけたものを碑という。先秦時代では石に文章を刻んだものとして,秦国の石鼓文が古くから著名であり,近年になって中山国王の刻字河光石が発見されている。いずれも特定の形に加工しない自然石を利用したもので,石刻とよんでいる(秦刻石)。定型化した碑は後漢から始まり,遺例として後漢代の後半のものが各地にのこる。多くは墓前に立て被葬者の功績を記したもので,碑身と趺(ふ)からなる。碑身は扁平な板石で,文章を刻みつけるところ。頭部を半円形(円首)もしくは三角形(玉器の圭に似るので圭首という)につくり,前者を碣(けつ),後者を碑とよびわけることもある(碑碣(ひけつ))。円首では縁の円弧にそって凹線を刻み,これを暈(うん)という。暈には2~3本の虹形凹線を一方にかたよせて刻(ほ)る場合と,左右対象に刻る場合があり,ここを竜の浮彫で飾ることもある。円首,圭首ともに碑身の上部中央に円孔を貫通させ,これを穿(せん)とよぶ。穿の上部に碑の表題を篆書(てんしよ)で刻り,これを篆額,題額あるいは碑額という。碑文は穿以下に隷書で刻り,ときには方格の罫を刻ったり,碑身の周囲に各種の文様を浮彫するものもある。趺は碑身をのせる台座石で,平面が長方形を呈し,上面の四稜を削って竜虎の文様をいれるものもある。漢代の石碑は後代のものにくらべて素朴で,高さは2~3mにとどまっている。

 碑の起源については,宮中の御殿前にたて時刻を計った日時計の柱を碑と称したことを別にすれば,漢代から2説ある。

(1)は埋葬に関するもので,大木を石碑形につくり,これを槨の四隅にたて,石碑形の木にあけた孔に滑車の軸を通し,縄で棺をつり下げることから始まるとする説。(2)は廟門内に立て,祭祀用の犠牲をつないだことから始まったとする説。だが,これを証明する後漢以前の遺例が発見されていないので,いずれとも決めがたい。魏晋時代,墓前に石碑を立てることが禁じられたので,墓室内に石碑形の墓誌を立てる場合があり,これを石刻墓誌の始まりとする説がある。
墓誌
 魏晋南北朝時代,北方の諸王朝では,漢式の石碑をしだいに独特のものへ変形させた。碑身には穿がなくなり,題額の左右に首と前足を垂下し碑頂で尾をからみあわせる2匹の螭竜(ちりゆう)をあらわす螭首が発達し,碑文が隷書から楷書にかわる。台座石では方趺のほかに,四足をふんばり頭をもたげた亀形の台座つまり亀趺(きふ)が出現する。北魏では,仏教の供養碑として,仏像を題額に浮彫し,その下部に結縁者の姓名や肖像を刻り込んだ造仏碑がつくられたが,後にはすたれていく。

 中国南部を支配した六朝でも華美な石碑がつくられている。梁の遺例が南京(円陽)地方に造営された陵墓に多くのこっている。石碑は墳丘の正面に設ける参道神道(しんどう)という)の左右に神道石柱神道碑,華表ともいう)や石獣とともに立てられている。神道石柱は後漢代にあらわれたもので,円柱の上部に方形の板を彫りだし,被葬者の墓域をしめす題字を刻り,柱の頂部に石獣を彫刻した蓋石をのせたものである。石碑はやはり漢式にもとづくが,北朝とは異なっている。碑身は圭首・円首形をとるが,浮彫の螭首は碑頂の側面をめぐるにとどまり碑面におよばない。穿の上部に一段高い方形の題額をつくり,そのまわりに1対の螭竜を刻る。碑の表面に碑文,裏面に建立者の姓名を楷書で刻る。また,碑側の側面を方格形に区画して,吉祥の禽獣を浮彫する優品もある。亀趺は写実的で,亀甲を横断する板状の突起をつくりだしてここに碑身をのせる。この時期,石碑は大型化し,高さ6mに達するものもある。

 隋・唐時代,石碑は一段と大型化し,荘厳さを加える。墓碑のほか,《顔氏家廟碑》《大秦景教流行中国碑》など,家廟や寺院の紀念碑も少なくない。碑身では螭首が大きくかつ立体的になり,方形ないしは圭形の題額以外の碑頂部いっぱいに展開する。穿は消失している。題字は篆書と楷書であるが,まれに飛白書のものもある。碑文の周辺や碑側に浮彫や線刻の文様をほどこすが,仏教的な蓮華文・唐草文のほか,牡丹・獅子など唐式の細かな文様を刻んでいる。台座石には,方趺と亀趺があり,亀趺の表現はきわめて雄渾なものとなっている。こうした一般的唐碑のほか,三重の方形蓋をのせるもの(石台孝経),碑額に仏龕を浮彫するもの(道因法師碑),碑台を須弥壇式にするもの(玄秘塔)など特殊なものがある。唐代では,身分によって墓碑の形や大きさが決められており,碑碣の文章は必ず事実を記し,みだりに飾りたててはならない,五品以上の碑は螭首・亀趺で,趺から上の高さは9尺(約2.7m)を超えてはならない,七品以上の碑は圭首・方趺で,趺から上の高さ4尺(約1.2m)を超えてはならないと決められていた(《大唐六典》)。

 唐代の石碑が基本になって,明・清時代までうけつがれていく。一方,唐代の隣国である新羅にも伝えられ,韓国の慶州付近の寺院址や王陵には唐式の石碑が少なくない。
金石学 →金石文
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普及版 字通 「石碑」の読み・字形・画数・意味

【石碑】せきひ

いしぶみ。〔後漢書、儒林伝序〕熹四年、靈乃ち儒に詔して、五經を正定し、石に刊(ほ)らしむ。古・篆(てん)・隷(れい)、三體の書法と爲し、以て相ひ參檢し、之れを學の門に樹(た)て、天下をして咸(ことごと)く則を取らしむ。

字通「石」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の石碑の言及

【金石文】より

…碑は本来は廟門に立てて犠牲をつないだり,墓所に立てて棺を縄で墓中につり下ろすときに用いられたものである。これらの碑石がやがて板状になり,台(趺石(ふせき))がつき,文章が刻されて石碑となる。その時期は後漢時代で,立碑が禁止された魏と西晋時代を除き,南北朝から隋・唐にかけて盛んに立てられた。…

※「石碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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