繆斌工作(読み)みょうひんこうさく

改訂新版 世界大百科事典 「繆斌工作」の意味・わかりやすい解説

繆斌工作 (みょうひんこうさく)

太平洋戦争末期の日中和平工作。小磯国昭内閣成立直後の1944年8月,元《朝日新聞》北京駐在記者田村真作は緒方竹虎情報局総裁らを通じて小磯首相を動かし,繆斌を仲介として重慶の中華民国政府(蔣介石総統)との和平工作の推進を提案した。かつて中国国民党中央委員などを務めた繆は,日中戦争勃発後に日本軍が華北につくった親日団体新民会副会長となり,汪兆銘政権が成立すると立法院副院長となったが,蔣政権との接触が露見して44年当時は考試院副院長の閑職にあった。繆斌工作に対しては杉山元(はじめ)陸相,米内光政海相,重光葵(まもる)外相が繆は信頼できないとして反対したが,小磯と緒方は45年3月16日繆を単身東京へ呼び寄せ,繆は小磯,緒方および東久邇宮稔彦(なるひこ)王に会った。しかし3月21日の最高戦争指導会議では,上記3名のほか梅津美治郎(よしじろう)参謀総長も反対したため意見がまとまらず,天皇も小磯に消極的態度を示した。これが一つの原因となり,4月5日小磯内閣は総辞職し,繆も4月末に帰国,和平工作は失敗した。
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