外交官、政治家。大分県生まれ。1911年(明治44)東京帝国大学法学部卒業後、外務省に入る。パリ講和会議全権委員随員、上海(シャンハイ)総領事などを歴任。1932年(昭和7)中国公使として上海停戦協定交渉中、天長節祝賀式場における反日運動家の投弾により右脚を失った。1933年外務次官となり、ソ連、イギリス、中国の各大使を務める。1943年東条英機(とうじょうひでき)内閣外相、1944年小磯国昭(こいそくにあき)内閣外相兼大東亜相として大東亜会議の開催やソ連を通じての和平工作を図るなど、戦時外交に重要な役割を果たした。敗戦後、東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣外相として降伏文書に調印したが、ソ連の要請により極東国際軍事裁判のA級戦犯として逮捕される。1948年(昭和23)禁錮7年の判決を受け、1950年仮釈放となり、1952年追放解除後、政界に復帰し改進党総裁となる。その後、日本民主党、自由民主党副総裁を務める。1954年以降は鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣外相として、国連加盟、日ソ国交回復に尽力した。著書に『昭和の動乱』『巣鴨(すがも)日記』『外交回想録』などがある。
[小田部雄次]
『重光葵記念館編・武田知己監修『重光葵外交意見書集』全3巻(2007~2010・現代史料出版)』
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大正・昭和期の外交官,政治家 外相;日本民主党副総裁;衆院議員。
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外交官,政治家。大分県に生まれ,東京大学卒業後外務省に入り,ベルサイユ講和会議全権随員などを経て,1931年駐華特命全権公使となり,32年上海爆弾事件で片脚を失った。33-36年広田弘毅外相のもとで事務次官,駐ソ,駐英,駐華各特命全権大使を歴任して,43年東条英機内閣の改造により外相に就任した。44年小磯国昭内閣の外相兼大東亜相,45年貴族院議員,敗戦直後の東久邇宮稔彦(なるひこ)内閣の外相となり,政府代表として日本降伏文書に調印した。その後A級戦犯として東京裁判で禁錮7年の刑に処せられたが,50年仮出所,52年改進党総裁となり,53年総選挙後,自由党の吉田茂との首班指名争いに敗れる。54年日本民主党の結成とともに副総裁となり,同年鳩山一郎内閣の外相に就任し,56年日ソ国交回復と日本の国際連合加盟を実現した。著書に《昭和の動乱》2巻(1952),《外交回想録》(1953)がある。
執筆者:木坂 順一郎
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1887.7.29~1957.1.26
大正・昭和期の外交官・政治家。大分県出身。東大卒。外務省に入り,パリ講和会議随員などをへて,1930年(昭和5)中国在勤中に日中関税協定を締結して対中国宥和に努めたが,満州事変となり挫折。32年上海事変の収拾にあたるなかで爆弾を投げられ片脚を失う。33年から36年まで外務次官として日中提携政策を推進。以後,駐ソ・駐英・駐華大使をへて43年4月に東条内閣の外相となり,小磯内閣では外相兼大東亜相に就任した。東久邇宮内閣でも外相を務め降伏文書に調印。極東国際軍事裁判で禁錮7年の刑をうける。52年改進党総裁・衆議院議員となり,54年日本民主党副総裁として鳩山一郎内閣に入閣,副総理・外相として日ソ国交回復に努めた。
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…上海で愛国志士金九の薫陶を受け傾倒する。1932年4月29日上海虹口公園で日本の天長節祝賀会が開催されたとき,参席した日本の要人群に投弾,陸軍大将白川義則,同中将植田謙吉,海軍中将野村吉三郎,駐中国公使重光葵らを死傷させた。同年12月19日処刑される。…
…改進党の結成はこうした情勢のもとでなされた。新党総裁には,6月旧民政党の大麻唯男の尽力により,追放解除後まもない元外相重光葵が就任している。新党は一方で協同主義の理念に基づく修正資本主義の実現を掲げ,他方で日米対等の原則による相互防衛協定の締結と,民力に応ずる自主的自衛軍の創設を掲げた。…
…1945年9月2日,日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏することを正式に承認することを示すために調印された文書。調印は東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号上でなされ,日本側からは天皇および日本国政府を代表して重光葵(まもる)外相が,大本営を代表して梅津美治郎(よしじろう)参謀総長が調印し,連合国側からは最高司令官マッカーサーを筆頭にアメリカ,中華民国,イギリス,ソ連,オーストラリア,カナダ,フランス,オランダ,ニュージーランドの各代表が調印した。文書はポツダム宣言の受諾とその誠実な履行,日本軍の無条件降伏,日本軍・国民の敵対行為の停止,財産破壊の防止,連合国の俘虜および被抑留者の解放・保護・輸送などを規定し,かつ占領統治の基本方針として天皇および日本国政府職員がとくに命令のない限りその任務にとどまり,連合国最高司令官の布告・命令・指示に従って国家統治の任に当たるという間接統治方式を規定した。…
※「重光葵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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