アエミリウスパウルス(その他表記)Lucius Aemilius Paullus Macedonicus

改訂新版 世界大百科事典 「アエミリウスパウルス」の意味・わかりやすい解説

アエミリウス・パウルス
Lucius Aemilius Paullus Macedonicus
生没年:前228ころ-前160

パトリキ名門出身のローマ将軍小スキピオの父。ヒスパニア,リグリア鎮圧に功を挙げ,前168年コンスル(執政官)として第3次マケドニア戦争を指揮。ペルセウス王をピュドナの戦に破り,ローマの東方支配を決定づけた。エピルス地方のモロシ族国家全住民の奴隷化(約15万人)を含む戦後処理の後,凱旋。戦利品により以後ローマ国民は直接税を免れた。ヘレニズム愛好家としても知られる。
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アエミリウス・パウルス

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