精選版 日本国語大辞典 「将軍」の意味・読み・例文・類語
しょう‐ぐん シャウ‥【将軍】
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…安土桃山時代に続く時代。徳川家康が征夷大将軍になった1603年(慶長8)から,15代将軍徳川慶喜が大政を奉還して将軍を辞した1867年(慶応3)までの265年間を指す。この間,権力の中枢である幕府が江戸に置かれたのでこの呼称があるが,徳川氏が権力を握っていたので徳川時代ともいう。…
…徳川家康が1603年(慶長8)2月12日征夷大将軍に任命されて江戸に開いた幕府。以後,1867年(慶応3)10月15日15代将軍徳川慶喜の大政奉還までの265年の間,対内的には全国を統治し,対外的には日本を代表する政府として機能した。…
…その叙任の方法は,4代家綱時代まではまず朝廷に奏上しその後に幕府が叙任する例であったが,5代綱吉時代以後は幕府が叙任しその後に朝廷の位記口宣を申請するというものであった。将軍および世子以下の官位昇進の次第は3代家光時代にその例規が定まり,将軍宣下とともに正二位内大臣となり,のち従一位左大臣に進み,正一位太政大臣を追贈され,世子は従二位権大納言となり右大将を兼ねるのを例とした。御三家,万石以上の大名の官位もその地位の高下,家格によって定まっていて,尾張・紀伊両家の従二位権大納言,水戸家,御三卿の従三位権中納言,加賀前田家の従三位参議を最高とし,以下従五位下まで数等に分かれ,城主格以上の大名は従五位下の国守に叙任されるのを例とした。…
…平安中期の《源氏物語》《枕草子》などにみられる〈おおやけかた〉と同義で,1181年(養和1)8月の後白河院庁公文所問注記集(《東大寺文書》)に〈公方済物〉,1256年(康元1)8月の感神院政所下文案(《八坂神社文書》)に〈公方に訴え申す〉などとあるように,〈私〉の対語として公家,朝廷の方面をさす語であった。この用法は中世を通じても見られるが,鎌倉中期の1283年(弘安6)将軍家御教書(みぎようしよ)を〈公方御教書〉といったのを早い例として,将軍をさす言葉として用いられるようになった。これは北条氏の幕府内部での勢力が強大になり,得宗およびその御内人(みうちびと)と御家人との摩擦が強まる過程で,得宗や〈御内〉と将軍とを区別する意図で,多少とも意識的に使われた形跡があり,おそらく安達泰盛の関与があったものと推定される。…
…江戸幕府が外交文書において将軍を表す語として用いた〈日本国大君〉の略称。3代将軍徳川家光のとき,朝鮮との国交修復に際し対馬藩主の宗氏が将軍の号を〈日本国王〉と改作した事件が起き,これを機に幕府は朝鮮に対し1636年(寛永13)来日の朝鮮通信使から〈日本国大君〉の称号を使用させた。…
…江戸時代の,将軍を頂点とした封建的政治体制をいう。
[規定と特質]
幕藩体制は,兵農分離制を階級支配の原則とした純粋封建体制の一形態であって,石高制(こくだかせい)を土地所有体系の基本とした封建領主が,士・農工商・賤民の政治的編成を基本とした経済外強制によって民衆支配を行い,その支配体制の総体を鎖国制という民族的枠組みによって維持,固定している政治体制である。…
…江戸時代に琉球国王が襲封,将軍の代替りに際し,江戸に派遣した使節。1634年(寛永11)薩摩島津氏が琉球国王に徳川将軍の代替りを祝う慶賀使を派遣させたのに始まる。…
…しかしまた戦争は避けることのできないもので,ときとして断固とした決戦が必要である。この場合,開戦前に政治的・経済的・自然的条件について彼我の状況をよく知り,味方を不敗の態勢におくことが大切であるが,特に国内の人心の和合と将軍の徳性が考慮される。将軍が任命されたからには君主でさえもはやみだりに口をはさむことは許されない。…
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