音楽演奏を身ぶり手ぶりなどの可視的手段で統率する行為。それを行う者を指揮者という。複数の演奏者による合唱、合奏を整え、解釈の統一を与えるための指揮者は、西洋・東洋を問わず、あらゆる音楽実践に必要に応じて用いられたが、それが作曲家、器楽演奏家、声楽家などの音楽的職業から分化し、自らは音を発さない特殊な演奏的職業として独立したのは、19世紀後半の西洋音楽においてであった。西洋音楽の複雑化、肥大化、理念化にその原因が求められる。
[樋口隆一]
指揮の原型は、すでにメソポタミア、エジプト、インド、さらにギリシア、ローマの古代文明にみいだされる。中世ヨーロッパでは単旋律聖歌(いわゆるグレゴリオ聖歌)の旋律の上下を手の運動(カイロノミー)で示したが、この図型は初期のネウマ譜に受け継がれた。15、16世紀、ルネサンスの時代にはポリフォニー声楽曲が隆盛を迎えたが、複雑化する合唱の統一のため、一定の時間単位(タクトゥス)を指または杖(つえ)の上下で示す指揮が行われた。16世紀末から、とくにマドリガーレに代表される世俗的声楽曲の分野では、歌詞の情調に応じたテンポの変化が求められるようになった。17、18世紀のいわゆるバロック音楽の時代には、器楽合奏とオペラの隆盛がみられ、指揮の重要性も増した。指揮杖による足のけがが原因で世を去ったリュリの故事が示すように、指揮杖、指揮棒、コンサートマスターの弓による指揮のほか、J・G・ワルターの『音楽辞典』(1732)の表紙にみられるように、丸めた紙や羊皮紙による指揮も行われた。イタリア・オペラでは、コンサートマスターと通奏低音のチェンバロ奏者による二重指揮が行われ、合奏音楽ではそのどちらかによる指揮が通例であったが、教会音楽では指揮棒などを持った指揮者が必要なことも多く、前二者とともに三重指揮をとることもあった。
19世紀に入り通奏低音が姿を消すと、チェンバロ奏者による指揮も行われなくなり、19世紀初めの指揮者には、シュポーア、アブネックのようなバイオリン奏者が多い。やがて彼らも弓や棒で指揮するようになり、スポンティーニ、ウェーバー、メンデルスゾーンの時代では指揮棒が主流となった。近代の指揮法の基礎をつくったのはワーグナーとベルリオーズである。とくにワーグナーは、その門下にハンス・フォン・ビューローとハンス・リヒターという19世紀後半を飾る二大指揮者を育てた。この2人が、現代的な意味での職業指揮者の祖である。その後に続く、ニキシュ、R・シュトラウス、マーラー、さらにフルトウェングラー、ビーチャム、ワルター、クレンペラーを経て、現代のベーム、カラヤンに代表されるドイツ、オーストリア系列の伝統が形成された。モントゥーやミュンシュによるフランスの伝統、トスカニーニによるイタリアの伝統もあるが、現代はアメリカのバーンスタイン、日本の小沢征爾(せいじ)、インドのズビン・メータの存在が示すように、国際性が強くなった。
[樋口隆一]
指揮はもとより指揮者の全人格的な音楽表現を基礎とするが、現代の指揮理論は、リズム、テンポ、強弱、表情など、音高を除いたあらゆる音楽の要素を、両手の運動によって示すことを可能とした。両手の機能は分化している。指揮棒を持つか否かにかかわらず、おもな機能は右手が有している。2拍子、3拍子、4拍子などの拍節構造は、それぞれに定められた図形を右手で描くことによって示される。図形の大小で音量が、打拍の速度によりテンポが示され、各打拍の強弱によりリズムの変化が表現される。基本的には2拍子、3拍子(三角形)、4拍子の3種類で、それらの組合せと変化により、5拍子、6拍子、7拍子、8拍子、12拍子が表現されるほか、ゆっくりしたテンポのときには、明瞭(めいりょう)化のために図形の各拍の分割が行われる。左手は主として補助的な機能をもっている。右手の各機能の一時的強調、表情づけ、抑制と要求、各奏者の弾き始め(吹き始め、歌い始め、アインザッツ)の指示などである。こうした基礎的な指揮法を修得した指揮者は、まず総譜の分析を行い、作曲家の音楽的構想を理解し、自己の音楽性との対応のなかから自己の解釈を発見し、その表現の手段として、各部分に即した指揮法の応用を熟慮し、準備を整える。そのあとに迎える練習(リハーサル)は指揮者と楽団員(合唱団員)との共同創造の場であり、聴衆の前での演奏会は、指揮者、演奏家、聴衆の三者の心的交流によってさらに高められた音楽体験の場となることが理想である。
[樋口隆一]
『斎藤秀雄著『指揮法教程』(1956・音楽之友社)』▽『山田一雄著『指揮の技法』(1966・音楽之友社)』▽『M・ルードルフ著、大塚明訳『指揮法』(1968・音楽之友社)』▽『K・トーマス著、糸賀英憲・天野晶吉訳『合唱指揮教本』全3巻(1965~66・音楽之友社)』▽『高階正光著『指揮法入門』(1979・音楽之友社)』▽『H・C・ショーンバーグ著、中村洪介訳『偉大な指揮者たち――指揮の歴史と系譜』(1980・音楽之友社)』
一般にオーケストラや合唱,オペラ,アンサンブルなどを身ぶりやバトン(指揮棒)を用いて可視的手段によって統率すること。指揮者(コンダクターconductor)はリズムや拍子をとるばかりでなく,楽器や声の〈入り〉(アインザッツEinsatz)を示しながら,ディナーミク,フレージング,アーティキュレーションその他の細かい表情を指示する。また楽譜を深く読解しながら自分なりの解釈を設定した上で,それを演奏者に徹底させなければならないが,練習(リハーサル)はそのための不可欠の場である。指揮者に要求されるのは,バトン・テクニックそのものよりも,楽譜読解力,管弦楽法・楽器奏法などに関する知識と勘,メートリク(拍節,韻律)に対する感覚,ある程度の運動神経,多数の人間を統率する人格ないし意志,特定の楽団の常任指揮者やオペラ劇場の音楽監督などの場合はさらに事務的・政治的能力などである。優れた指揮者は練習の段階から楽員全体に緊張感を行き渡らせ,本番では楽員一人一人の能力を最大限に発揮させる。指揮者のちょっとした表情や眼力,体の動かし方,さらには体格などが,楽員と全体の音質に与える影響は大きい。
指揮の歴史は古く古代ギリシアにさかのぼるが,19世紀後半に近代的指揮法が確立されて職業指揮者が輩出するまでは,特に決まった指揮法はなかった。足や棒で床や楽譜をたたいて音楽を邪魔することさえあった。中世の単旋律聖歌では手で旋律線を示していたが,ポリフォニー音楽の発展と拍の概念の定着化に伴い,手や棒を上下させて拍を示すようになった。17~18世紀では,楽譜を巻いたものや短い指揮棒も使われ始めたが,特に普及したのは通奏低音奏者がチェンバロ,リュートなどを弾きながら,あるいはコンサートマスターが弓を使うなどして基本のテンポとリズムを確保する方法であった。近代的な指揮法は,通奏低音が廃れオーケストラの規模も拡大した19世紀,ドイツのC.M.vonウェーバー,シュポーア,メンデルスゾーン,フランスのF.A.アブネックらに始まるが,特にベルリオーズとワーグナーの貢献が重要である。19世紀後半には作曲家と指揮者が分離して専門職業としての指揮が定着していった。なお広義には,アンサンブル音楽が存在する限りあらゆる民族音楽(邦楽を含む)にも指揮の概念は成立しうる。
執筆者:土田 英三郎
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