アフリカの女王

デジタル大辞泉プラス 「アフリカの女王」の解説

アフリカの女王

英国の作家セシル・スコット・フォレスター冒険小説(1935)。原題《The African Queen》。
②①を原作とした1951年製作のイギリス映画。原題《The African Queen》。監督:ジョン・ヒューストン、出演:ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘプバーン、ロバート・モーレイほか。第24回米国アカデミー賞主演男優賞受賞(ハンフリー・ボガート)。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のアフリカの女王の言及

【イギリス映画】より

…(2)同じ英語圏であるということもあって,イギリスで作られるアメリカ映画が圧倒的に多く,その歴史がほとんどそのままイギリス映画の歴史にもなっていること。ハリウッドの映画会社フェイマス・プレイヤーズ,ラスキーLasky(パラマウントの前身)が1916年にロンドン郊外のアイリントンに撮影所を作って〈アメリカ映画〉を製作し,18年にはハリウッドの巨匠D.W.グリフィスが時の宰相ロイド・ジョージの要請で,イギリスの国策映画《世界の心》を撮っているが,以来,30年代末には,MGM=ブリティッシュがK.ビドア監督《城砦》,S.ウッド監督《チップス先生さようなら》(ともに1939)などイギリス的題材による〈アメリカ映画〉,あるいはむしろハリウッド的超大作の〈イギリス映画〉の製作の先鞭をつけ,また50年代にはJ.ヒューストン監督《アフリカの女王》(1951),《赤い風車》(1952)などイギリスの製作会社による〈アメリカ映画〉も作られる。《アフリカの女王》の製作にかかわったS.P.イーグルは,ハリウッドの〈赤狩り〉から逃れてイギリスにきていたハリウッドのプロデューサー,サム・スピーゲルの変名で,この後彼はD.リーン監督《旅情》(1955),《戦場にかける橋》(1957),《アラビアのロレンス》(1962)などのアメリカ資本の〈イギリス映画〉を製作する。…

【ヘプバーン】より

…《女性No.1》(1942)でスペンサー・トレーシーと初めて共演,トレーシーとはその後9本の映画に共演して,ハリウッド屈指のコンビといわれた。ブロードウェーやロンドンで舞台に意欲を示しながら《アフリカの女王》(ジョン・ヒューストン監督,1951),《旅情》(デビット・リーン監督,1955),《去年の夏突然に》(ジョセフ・マンキーウィッツ監督,1959)などの優れた作品を選んで映画に出演し,《夜への長い旅路》(1962)ではカンヌ映画祭の女優賞を受賞した。トレーシーとの久しぶりの共演作《招かれざる客》(1967。…

※「アフリカの女王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android