改訂新版 世界大百科事典 「アブーアルハイルハーン」の意味・わかりやすい解説
アブー・アルハイル・ハーン
Abū-al-Khayr Khān
生没年:1412-68
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ジュチの第5子シバンShiban(シャイバン)を始祖とするためにこの名で呼ばれる。アブー・アルハイル・ハーンは,ウズベクを統一して,キプチャク草原に遊牧国家を建設したが,その孫のシャイバーニー・ハーンは,定住地帯に攻め入り,ティムール朝を破り(1500),これにかわって西トルキスタンからホラーサーンを支配する国家をうちたてた。彼が1510年に敗死した際,バーブルに一時サマルカンドを奪われるなどしたが,支配権を奪還して(1512)以降,ここあるいはブハラを首都として,アブー・アルハイルの子孫がハーン位を継承していった。…
※「アブーアルハイルハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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