改訂新版 世界大百科事典 「アムリッツァルの虐殺」の意味・わかりやすい解説
アムリッツァルの虐殺 (アムリッツァルのぎゃくさつ)
第1次大戦後発令された治安維持法(ローラット法)への抗議の声に沸き立つインドでおこったイギリス軍隊による大量住民虐殺。1919年4月13日,パンジャーブ州アムリッツァル市内で,2人の民族指導者の逮捕に抗議して集まった約2万の市民の間にイギリス准将R.E.H.ダイヤー率いる完全武装の軍隊が乗り込み,無差別発砲により1500人以上の死傷者を出した。事件のおきた市内の地名をとってジャリアンワーラー・バーグ事件と通称されている。パンジャーブはこの直後戒厳令下におかれるが,すでに4月6日にガンディーによって開始されていたサティヤーグラハ(非暴力的抵抗)運動はこの事件を機に大きく進展した。
執筆者:内藤 雅雄
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