ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アムルサナー」の意味・わかりやすい解説
アムルサナー(阿睦爾撒納)
アムルサナー
Amursanā
[没]乾隆22(1757)
北アジア,オイラート (瓦剌)のホイト (輝特) 部の部長。部長ウイジェン・ホシューチの妻ボトロクの連れ子。ホシュート (和碩特) 部の部長ラザン・ハンの長子ガルダン・ダンシュンの遺腹の子ともいう。 1753年ジュンガルのツェワン・ドルジ・ナムジャル・ハンが庶兄ラマ・ダルジャに殺されると,身の危険を感じたアムルサナーはカザフに逃れ,次いで帰国してラマ・ダルジャを殺してダワチ・ハンを立てた。しかしすぐダワチと不和になって清に来投し,54年親王に封じられ,次いで北路副将軍としてジュンガルの征討に参加。ジュンガルの平定後は4オイラートのハンとなろうとして清の征討を受け,3度カザフに逃れたが,東カザフが清に好を通じるに及んでシベリアに走り,その地で痘病で死んだ。その死体は 58年ロシアから清に引渡された。
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