大学事典 「エアフルト大学」の解説
エアフルト大学[ドイツ]
エアフルトだいがく
ドイツ中部,テューリンゲン州の州都エアフルトにある州立総合大学。1379年に教皇クレメンス7世による特許状を得ていたが設立に至らず,89年に教皇ウルバヌス6世の特許状に基づき設立され,92年開学。エアフルトは交通の要地でもあり,中欧の著名な大学として発展。15世紀初めには法学部が隆盛,15世紀から16世紀にかけてはスコラ哲学の中心となる。16世紀初めにはルターも学ぶ。宗教改革とルネサンスの時代に最高潮に達するが,ナポレオン時代に威信が低下し,学生数も減少。1816年に閉学。第2次世界大戦後の東ドイツの時代,エアフルトには1954年に医学アカデミー,1969年にエアフルト教育大学等が設置される。ドイツ統一後の93年12月,テューリンゲン州議会はエアフルト大学の再建を決議。法律上は1994年1月1日に大学再建,99/2000年冬学期から授業開始。国家学,哲学,教育科学,カトリック神学の4学部から構成され,学生数は5700人(2016/17年冬学期)。
著者: 長島啓記
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報