日本大百科全書(ニッポニカ) 「エンコモ」の意味・わかりやすい解説
エンコモ
えんこも
Joshua Nkomo
(1917―1999)
ローデシア(現、ジンバブエ)民族運動の指導者。マタベレランド州のセモクウェに生まれる。南アフリカ連邦ナタール州(現、南アフリカ共和国クワズールー・ナタール州)のアダムズ・カレッジを卒業し、1947年帰国。ローデシア・アフリカ鉄道組合の書記長となった。1957年アフリカ民族会議(ANC)議長。1959年ANC非合法化に伴いロンドンに亡命。1960年帰国し民族民主党を結成。1961年同党非合法化でジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU:Zimbabwe African People's Union)を結成した。1965年の、宗主国イギリスに対する白人入植者スミス・ローデシア戦線政権の一方的独立宣言に反対し投獄されたが1974年に釈放された。1975年南アフリカ共和国首相フォルスターの仲介でスミス政権とビクトリア・フォールズ会談に臨んだが決裂。以後、隣国ザンビアの首都ルサカを根拠地にゲリラ闘争を展開した。1976年ジュネーブ会談を契機にムガベのジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU:Zimbabwe African National Union)と愛国戦線(PF:Patriotic Front)を結成。1980年4月のジンバブエ独立とともにムガベ内閣の内相に就任。1982年2月反ムガベ陰謀のかどで解任され、内戦に突入し敗れる。1987年、社会主義一党制を目ざすZANUとZAPUは合併し、ジンバブエ・アフリカ民族同盟-愛国戦線(ZANU-PF)となり、エンコモは副大統領に就任。1999年病没。
[林 晃史]
『Joshua Nkomo and Julius K. NyerereRhodesia ; the case for majority rule(1966, Indian Council for Africa, New Delhi)』▽『Nkomo, the story of my life(1984, Methuen, London)』▽『The New Zimbabwe(2001, SAPES Books, Mount Pleasant, Harare, Zimbabwe)』