日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
カノバス・デル・カスティーリョ
かのばすでるかすてぃーりょ
Antonio Cánovas del Castillo
(1828―1897)
スペインの政治家。マラガに生まれる。ジャーナリストとなったのち、マドリードに出て中央政界入りする。1854年のクーデターでは、オドンネルの秘書として、穏健派政府批判宣言を執筆した。オドンネル政府で内務次官、のち穏健派政権で内相などを務めたが、オドンネルにも穏健派にも不満を抱くに至る。1868年の九月革命の際には局外にいたが、アマデオ王政下、ついで共和政下でアルフォンソ12世による王政復古に奔走。1874年の王政復古後、保守党を率いて6回にわたり政権を担当、1876年憲法の制定、自由党サガスタとの政権交替制導入を行った。政治の安定化に成功したが、彼の名にちなんでカノバス体制ともよばれるその政治体制は、民衆を排除したうえに成り立っていた。1897年8月8日、キューバ問題打開策を検討中、保養地サンタ・アゲダ(ギプスコア)でイタリア人アナキストに暗殺された。
[中塚次郎]